生きているということは変化しているということ

ちょっと前から「中高年」と括られる年齢になっている。体の変形、体調のどこということのない不調、視力・聴力・その他各種感覚の衰えなど、これはもう「元には戻らない」もの。もとのようにするという意味での「治す」ものではないし、治らない。
長年生きてきて、その結果変化してきたのであり、これからも生きている限り変化していくのであろう。考えてみたら、人間の体って結局変化し続けているわけで、途中でどんな手を加えようと、決して元には戻らないものなんだということがつくづく分かってきた今日この頃。
こころも同じで、今何らかの不調和なり違和があったりしたら、それをすっかり無くし、もとのようになるかといったら、一度変化してしまった以上それは無理だと思う。「治る」ということはありえないのではないか。だとしたら生きやすい方向に、変化の方向の舵をとっていくしかない。どの方向に進むかは自分自身しか分からない。
醤油を入れすぎてしまった肉じゃがに、あといくらお砂糖を足したりみりんを足したりなにをしたって、元には戻らない。始めに予想した味には決してならないが、新しいもっと美味しい味を創ってていくことは出来る。
悩んだとしたら、悩みをきっかけに、前より美味しい人生の方向に変化の舵をとればいい。 (定森露子)
「うつ」雑感

精神病理学で有名な医師の木村敏は、「わたしはいま、精神医学の臨床と哲学を一体のものと考える『臨床哲学』の道を歩いていますが、そういうわたしの目には、精神医学が急速に自然科学化し、脳科学化している現況が、非常に危険なもののように映ります」と「臨床哲学の知」(2008年)という本の中で昨今の精神医学の傾向に警告を発しています。私は医学に立脚する立場ではありませんが、心理相談において、臨床心理学と哲学を一体のものとして考えていくような「臨床哲学」を志しているものとして、まったく同様の危惧を抱いています。
特にうつ病に対しては、昨今の新聞やマスコミは、現代医学の研究成果として、神経伝達物質を中心とする脳神経的な生理的変化によって、一義的原因がすべてが解明されたかのような誤解を与える報道に危惧を抱いています。
最新の脳科学がうつに関して明らかにしているのは、あくまで測定可能として選択された神経伝達物質に関する変化と医学的にうつと診断された人との相関です。では、なぜ神経伝達物質の働きが不調になると、また神経伝達物質の不調になると、なぜうつになるのかとの説明となると、問題は複雑となります。ただ、脳科学の成果の中で、今言えることは、うつ病においては、脳のレベルでは、神経伝達物質の不調が起きるらしいと言えることです。しかし、あくまで言えることは、そこどまりだと思います。こうした「うつ」の扱いは、うつ状態とされる人が感じとっている主体(本人や周囲の人との関係)としての生きづらさや、その意味の変容までの説明は不可能です。神経伝達物質という神経生理学的レベルの変容でもって、うつとなっている人の悩みのすべてを説明を還元することはできません。もし、還元イメージを抱くならば、それこそ非科学的であり、ある次元では言える論理を、他の次元まで飛躍させているカテゴリーエラーといえます。
うつの増加に対しては、適切な医学的ケアだけでなく、不景気などへの就労支援や職場のメンタルヘルス対策の充実化や、うつ的思考や生き方の変容を扱うような臨床心理学的支援など、様々なアプローチを組み合わせることが大切なのです。
しっかりとした世界観や人間観などを探求する「臨床哲学」の土台をもたない心理学の自然科学化に危惧を感じるのです。 (定森恭司)
いつもそこにあるもの

写真のキリムは相談室の一つに敷いてあります。アフガニスタンのバルーチという部族が織ったものと聞いています。(多分?)
このキリムの上に籐の応接セットを置いて、そこで毎日相談をしています。もともとキリムは遊牧民が移動とともに持ち歩くものだそうで、だからとても軽くてしなやかです。広げればいつでもそこが我が家となりみんなが集う場所なんでしょうか。
とても細かく緻密な模様なのですが、所々織り間違いがあったりして、この緊張しきってないところがいいなあと思っています。以前トルコのバザールの絨毯屋さんが、パキスタンだったかアフガニスタンだったかのキリムは精神性がないので嫌いだと言ってましたが、宗教上の違いからそういったのかなあと思いましたが、確かにこのどこか緩やかな織りを見ていると、確かに違いはあるなあと思います。私はどちらも好きですが。
このキリムの存在を意識する・しないは別にして、この部屋に入るといつもそこにある物なので、この「いつもそこにある」、「変わらないものがある」ということは、人のこころに大きな安心感を与えてくれているのではないかと思います。
このかわらない安心感、キリムのような存在がある意味「ふるさと」かも知れません。 (定森露子)
外壁のリフォームのお知らせ
平成22年4月25日(日)より平成22年5月9日(日)頃までの間、心理相談室“こころ”では、外壁リフォームを予定しております。
ついては、この期間、駐車や雑音・遮光などで、ご不便ご迷惑をおかけすることになりますことをお許しください。
なお、駐車場については、上記期間中も、当室ご利用の方は、駐車場を変わらずご利用できますが、もしなんらかの事情で、最寄りの時間貸しの駐車場をご利用された場合は、お気軽に当室にお申し出下さい。上記期間中の駐車料金は、負担させていただきます。
ご不便ご迷惑をおかけしますが、なにとぞ、よろしくお願いいたします。
苦悩は人を詩人にする
カウンセリングやセラピーの仕事を長くやっていると、苦悩してきたクライエントがこれまでの自分から抜け出していく時期にさしかかった時、あたかも詩人のような言葉を産み出す瞬間に立ち会うことができます。
それはカウンセラーにとっても、心が共ぶれするような感動的体験となります。また、そうして誕生した言葉は、多くの人に感銘を与える言葉ともなります。今回、また、そうした言葉の創出の瞬間に立ち会うことができました。
ある中学生の女の子は、ふとこれまでの自分と今の自分の感じていることの違いを次のように語りました。
「これまでは、今があっても未来があるからいい、まだ時間があるからいいと、今から逃げていた。未来にすがり、現実から逃避していた。そして今の楽しみをいつも先送りしていた」
<今は?>
「今は今しかないと思うようになった。今を楽しまなくちゃ。過去を変えることはできないけど、起こった現実は変えられないけど、過去の影響された今の自分を変えることはできる」「未来は、いずれ今になるから、まずは今を大事に楽しまなくちゃ」
(なお、この文章はご本人の了解を得ています。定森恭司)

