“こころ”の容器としての自己

自己を、“こころ”を自分の中に収めるための容器とイメージします。
すると次のような連想が沸いてきます。

自己という容器の中に、ほどよく“こころ”が収まっている状態がもっとも安定した状態といえます。 ところが、容器の中の“こころ”が枯渇していては、とても生き生きと生きている感じを抱けず、動きは鈍くなり気分も沈んでしまいます。 逆に、容器器から、“こころ”が終始溢れる状態では、とても落ち着くことができません。 また、“こころ”がマグマのように熱くなって爆発しそうになっては、容器自体が壊れる恐怖感が高まるとともに、容器が壊れることによる周囲の危機も高まります。

逆に“こころ”が氷結してしまうと、あたかも容器自体も石のように固まってしまいます。 “こころ”の動きは、年齢や社会的文脈によって刻々変化します。また、どうしても、“こころ”の働きには、自己の意志だけでは予測不可能で調整不可能な面があります。

そこで、容器には、いつ変動する“こころ”に対応するための調整機能が必要になります。まずは、“こころ”に対応できるような頑丈な壁づくりと、必要に応じて、“こころ”の働きの増減に対応できるような調整弁が必要になります。また、できるだけ容器自体の容量を大きくしていくことも大切となります。     (定森恭司)