ふるさと探し再考

富士山の裾野にあるきれいな湧水で有名な「忍野八海」に行ってきました。15年~20年ほど前に2~3回行ったことがあり、きれいな湧き水と川と土手、のんびりと土手で寝転がったり、なぜか鱒が群れていて、釣り放題状態の川。そんな思い出がある、いわばふるさと的なところでした。しかし、今回は私の中にある「忍野八海」はみごとに崩れ去り、全く別のものになっていました。湧き水のすぐ側までお土産物屋が何軒もせまり、多くの観光客が楽しそうにソフトクリームを食べながらそぞろ歩き、しかし何度探しても昼寝した土手はみつからず、川は有料釣り場になっていた。

以前、「私にとっての旅行は、ふるさと探しをしているのではないか」と書いたことがあります。その時にふるさととは、①「生まれ育った場所(いつも変わらぬ風景であること)」か、②「そこにいくと何故かほっとする、どこかなつかしい、何だかまたいきたくなる、たくさんの思い出があるところ」と、考えました。しかし忍野八海は、確かにはじめは数回は②でしたが、今回は全くの違う場所になっていて、「ふるさと」ではなくなってしまいました。いつまでも私の中にとどめておけば良かったと、後悔しています。

「ふるさと探し」は「過去のふるさとめぐり」ではなく、「今出会うふるさと探し」なんだなあと改めて感じました。     
                                                                   
                          心理相談室こころチーフカウンセラー 定森露子(臨床心理士)