一回限りの風景

tree3
信号機や時間を気にしながら、ある道を、あるところに向かって、いつものように、いつもと同じ時間帯に歩いていると、日々、変化のない世界に生きている自分を思い知らされるます。自分だけなく、今歩いている道の風景も前と何ら変わりありません。唯一変化しているのは、漫然と過ぎた時間だけという気分です。こうした抑うつ気分に陥ると、この先の人生にも意味が見いだせなくなります。どうせ、この先の人生も、今の自分と世界の自動的な延長でしかありません。機械的に時の流れに流され、生きていることの確かな手応え感や意味を見いだせないまま不安と恐怖の対象でしかない死に向かうだけです。そうした人生と世界が、当たり前と思われます。

しかしながら、そうした「虚無」に陥った時は、今歩いている風景をもう一度見つめ直してみるといいかも知れません。

何かを発見しようとしたり、何かを意味を探そうとせず・・・力まず・・・ただ、あるがままに世界を、そっと眺めてみるのです。耳を澄ますのもいいでしょう。すると、どうでしょう、見ようとしていないと、逆に風景の方が、こっち側に自然になだれ込んでくる驚きの瞬間があります。この感覚を一度体感すると、そこには、それまでは毎日同じような風景が拡がっているよう思い込んでいた世界が、たった一度たりとも、同じ風景をみせていたことはないことに気づきます。これはまことに新鮮な驚きをもたらします。隣をふっと通りすぎた車も、前回の時にみた車と当然のことですが全く違うのです。時間に追われて歩いている自分の傍らを先ほどから通りすぎていた街路樹も、先週より、少しつぼみが膨らんでいるのです。空気の乾き具合や匂いや温度の感触も微妙に前回とは異なっているのです。音も世界もそうです。これまであまり意識されなかった鳥のさえずりも聞こえてきて、しかもそれは今・生きている小鳥が「今・ここの瞬間」で発したさえずりなのです。

そう、たった1回たりとも同じことが繰り返されたことなどない、一刻一刻変化している世界があるのです。あまりの当たり前すぎて、逆に気づかなくなってしまっていたのです。そして、一刻一刻変化する世界の森羅万象と同じように、一刻一刻変化しながら生きている自分の存在に目覚めます。

一刻一刻変化する自分と世界が、「ある」と言うこと自体が、まさに驚きの出来事なのです。      (定森恭司)