感性と理性

何かを意識するという行為が、全体から何か一部を切り取って、その選択した対象に集中することとするならば、無意識のままであるということは、いずれ意識化されるものを含んであるがままにあることであり、より全体的に生きていることにほかなりません。

意識を中心とした理性による合理主義的な判断や分析だけでは、むしろ死と生の狭間の中にいる人の生きる生々しさが失われてしまうのです。 理性だけでは、人生が空虚で味気ないものなりさがってしまうのです。 だから理性でもって無理に自分を変える必要はありません。考えて生きるのではなく、感じているところを考えることによって、より楽に自分らしく生きられる道が、自ずと開かれてくるのです。

理性は感性をコントロールするためにあるのでなく、感性を理解するためにあるのです。 (定森恭司)