自己と世界

世界から創造された自己は、個としてあるだけではなく、世界という自己超越的なものをはじめから含んで創造されているといえます。

自己には個の面と超個の面といった相矛盾する双面的性質があるのです。

自己は個としてあろうとすると、世界を非自己化して存在するしかありません。そのため個としてある時は、自己と世界は不一致となり、相矛盾し対立してしまいます。しかし、超個として振る舞う時には、自己と世界は一致し、自己=世界と、自己と世界の境界は消融し無境界となります。不一致の時に意識が誕生し、一致の時は、無・意識といえます。

自己の個体としての生は、自己と世界が対立し不一致の時にこそ、個体として身体的自己として存在しようとします。この時、自己が唯一の個的存在として存在しようとする限り、世界を非自己化せざるを得ません。自己と世界の一致は、今この世にはあり得ないものとして、一時保留し、いずれ審判の上で叶う彼岸のものとして今・この時から意識的に排除されます。
しかし、自己=世界の無境界の時も自己と世界の出会いの直接体験には含まれています。しかし、この時、自己は無・意識であり、そのことへの気づきが通常ありません。しかし、たった今という刹那の瞬間の直前には、そのような状態にあったと自覚することはできます。そのためには、自己の意識を無化していかないとだめです。自意識が働くところには、何らの分別に伴う識別が働き、その識別が自己と世界を分断してしまいます。意識された途端、分断されるのです。自己と世界の出会いをそのまま直覚する限り、そこには自己も世界も同時に現成し、すべてがあるがままになります。

こうして世界から創造さ れた自己は、自己と世界の一致と不一致を絶え間なく繰り返しながら、一致に向かって自己を自己組織化します。その意味では、不一致の時とは、一致に向けて出現する幻想的な象徴的世界が出現するといえます。不一致は絶望、狂気、闇、地獄の意味もつからです。しかし、こうした不一致という苦悩があるからこそ、一致の浄土があるといえるのです。

苦悩をつくりだすのこころならば、苦悩を通じて、新たな世界を創造するのもこころといえるのです。

ただ苦悩を感じなくさせるような対応では、まやかしであり、ごまかしであり、豊かな対応といえない、冷たく、乾いた対応といえるのでないでしょうか。

共感とは、自己と他者(非自己)との一致体験といえます。しかし共感できない時という不一致があるからこそ、共感が意味があるのです。

心理相談とは、世界と非自己化された世界一致と不一致をめぐるクライエントと、共感という一致と共感不全という不一致の繰り返しのなかで、ともに一致を求めて自己を自己組織化する行為といえるのです。不一致もまた重要なのです。