自己意識と対象認識の関係

人の観察主体が、何かの対象について認識するという時、それはただ単に対象についてのみ脳が神経学的に認識しているということはなく、対象に関する認識には深く自己意識が関わっているといえます。しかし、万有法則的な硬直した科学主義や普遍主義に陥りがちの現代では、案外、このことが看過されすぎているといえます。

我々は、薔薇をみた時、その薔薇は、世界共通の植物学的に分類される薔薇をみているだけはなく、薔薇に関する過去の記憶を含めて知らずのうちに薔薇を見ています。そのため、もし薔薇をみる男性が、かつて恋い焦がれた女性に薔薇の花を贈り求婚したものの結果は無残な結果に落ちる体験をもっていたとしたら、彼にとっての薔薇は失恋に伴う哀愁を喚起する薔薇でもあるのです。こうしたところにこそ、生々しい生きた薔薇としての実存的意味があります。我々は、同じ薔薇をみながらも異なる世界を構築しながら見ているといえるのです。実は、対象に関する認識の背景には、こうした完全には客観化し普遍化しきれない固有の実存的レベルの自己意識の世界が深く絡み合ってくるのです。

日本人は、鈴虫に秋の風情を実感します。しかし日本的な風土と文化に育っていない西欧人にとっては、鈴虫の声は、別に秋の風情までもたらしません。

このように直接体験における実存的体験レベルでは、個人や異なる社会・文化の分だけ、自己意識の差異に分だけ。実に異なる多様な世界は日々構築され続けているのが、この世界に関する日頃の私たちの認識といえるのです。    (定森恭司)