自殺願望について

「死にたい」という語りは、あたかも内なる私(内的現実主体)からわき上がる気持ちのように聞こえますが、実はそうではありません。そこには、自分で自分自身を否定するような不適切な価値観の影響が必ずあるものです。

ホロニカル・アプローチの視点からは、死にたいと語る人には、内なる私(内的現実主体)を観察している私(外我)の物事の見方の枠組みの中に、内なる私(内我=内的現実主体)を否定する価値観があることが明らかになります。私自身を観察する私の物の見方の中に、不適切な価値観(H主体:理)が内在化しているため、内なる私(内的現実主体)が否定され死にたくなってしまうのです。

本来、内なる私(内我=内的現実主体)は、刻々生成消滅を繰り返す自己と世界の出会いの直接体験を生命として自然に実感する存在です。ところがこうした自然な直接体験を体感する筈の内なる私(内我=内的現実主体)も、観察主体となる私(外我)から徹底的に否定されてしまうと、世界との生々しい接点を失ってしまいます。世界との生き生きとした接点を失った自己は、あたかも虚空に投げ出されたかのようなものです。こうなってしまうと、何んらかの助けがないと、どんどんブラックホールのような心の暗闇に引きずり込まれていってしまうのです。

大切なことは、内なる私の存在を否定するような間違った理(不適切なH主体:理)から徹底的に内なる私(内的現実主体)を守ることです。また自己と世界の接点の生命の躍動を内なる私(内我=内的現実主体)が直覚できるように支援することといえます。

理によって人は生きているのではありません。人には生きるための理の発見と創造が大切なのです。
定森恭司