

5月の連休を利用して(4/21~5/8)、駐車場を改修しました。それまでの駐車場は「木れんが」を敷いたもので、自然な柔らかい雰囲気が大好きでしたが、耐用年数は10年と言われていて、そのとおりに10年位経つと、れんがの端が雨や車の重みで崩れてきたりして、ちょっと荒れた感じになってしまっていました。
造るのに時間がかかるが、美しく、ながくもつ
木れんが駐車場を設計してくれた設計事務所に、前と同じでとお願いしたところ、施行業者は「丁寧だが時間がかかるところ」がいいか「早いところ」いいか尋ねられたので、「丁寧」なところでとお願いしました。その「丁寧だが時間がかかる」社長さんというのは、実は「左官やさん」で(昔は大工さん、左官屋さんといった人が身近にいました)、高い技術と誇りと伝統技術の存続に熱意ををもってみえる方でした。伝統的な方法だけでなく、新しいものも常に研究されている方です。よいものを作ろうとすれば時間とお金がかかる、早く安く作ろうとすればできるが美しくないし長く持たない、と言うはっきりとした考えをもっている方。そんな話をきくとぜひ左官の技術をいかした工法でお願いしたくなり、「木れんが」から「洗い出し」工法で駐車場を作り直してもらうことにしました。
洗い出し
「洗い出し」とは日本に古来からある伝統左官工法の一つで、セメントを敷いた上に種石をまき、その上にまたセメントをこてでおいていく。セメントが硬化しきらない時に表面のセメントを水で洗い流し種石を表面に浮き出させるというもの。日本庭園や寺院などでよく見られます。種石の大きさや色調などで、様々な表情が見られます。
波のような駐車場
駐車場は曲線と色のグラデーションで変化を持たせました。波のようにも、山々のようにもいろんな見え方がします。晴れた時と雨に濡れた時もまた違っていて、見あきない駐車場です。貝殻が小石に混じっているのを雀がつつきに来たり、錆がでている石(?)もあります。自然の石は二つと同じ色・形がなく、一つ一つみていてもおもしろいです。
久しぶりに来られた方は雰囲気が変わってびっくりされたと思います。もっと早くお知らせしておけばよかったとおもっています。
設計 TAS建築設計事務所 http://www9.ocn.ne.jp/~tas/
施行 (株)岡田建工http://okadakenkou.ninja-web.net/index.htm
http://kino-ie.net/interview_131.html
定森露子
2011.09.12 07:35|その他, コラム, ブログ, 心理相談, 日記など
2011.08.01 10:19|お知らせ, ブログ
私という意識(我)は、重篤な身体的病気を患っていないときでも、人生の生きづらさ、生活のしづらさに絶望的になります。しかし、そんな苦悩の絶頂にあっても、そのことにはまったく無関心であるかのように、血の通う身体は、ただひたすら生きることに向かって働き続けます。
一見、我の所有物にみえがちの身体も、元々、我を超えたもっと脈々と受け継ぎ流れてきた命の営みを受け継いで活動しているといえます。だからこそ、いくら我の意識が絶望的になっても、身体は、ひたすら生きることを常にめざし続けるといえます。
生きるとは、生まれた時から死ぬときまで、きっと個人的な苦悩を超越した意味をもっているのでしょう。そして、生命のつながりから生まれた私(我を含む自己)という存在は、最初から私の意識(我)だけのものではないことを、身体的自己の方がよく熟知しているのでしょう。
身体はそうした生命の智慧の宝庫なのでしょう。むしろ私という意識(我)の方が、あまりに当たり前のこうした生命の智慧から離れてしまい、頭でっかちな精神的世界の煩悩に迷い込んでしまうといえます。(定森恭司)
2011.08.01 10:18|カウンセリング 名古屋, コラム, ブログ, 心理相談, 日記など
2011.06.03 21:52|お知らせ, ブログ
「生きる」ことの意味を見失ってしまったように感じることは、ないでしょうか?
「生き甲斐を持とう」とか「夢を持って生きよう!」とか、声高に言われると、かえって空しさを感じたりすることはないでしょうか?
大きな「生き甲斐」を持たない自分は、「生きる甲斐のない」人生を歩んでしまっているのではないか……
そんなことを感じたりすることはないでしょうか?
谷川俊太郎の詩で「生きる」という詩があります。
「うつむく青年」という詩集に収録されているものですが、震災後、報道されているのを何回か見ましたので、それでごらんになった方もいるかもしれません。
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと (後略……)
こんな感じで続く詩です。
「生きている」「いま、生きている」という かけがえのない実感は、意外と、こうした普段の なにげない生活の中の、ほんの一瞬の中にこそ、感じられるものなのではないかな……
そんなことを思います。 (前田由紀子)
2011.06.03 21:49|カウンセリング 名古屋, コラム, ブログ, 心理相談, 日記など
2011.05.06 17:07|お知らせ, ブログ
4月から5月にかけての、近隣の山の広葉樹のふわふわと優しい感じがとても好き。ところどころ白やピンクの山桜も咲いていたりもして、まばゆい新緑になる前のほんの短い時期の楽しみです。木々はこうして新しい年を迎え、秋になると葉を落とし1年を終える。 考えてみたら、どうして木々は毎年毎年、新しい葉を出すのだろう?どうせ秋には落としてしまうのに。どうしてこんな面倒なことを繰り返しているんだろう。何故かは木にきいてみればいいのだろうけど、それはならず。よく分からないが、何回も何回も何回も同じことを繰り返しているかのようにみえて、実は少しずつ変化していってて、その土地の気候や空気にあわせていってるのかなあと思ったりもする。気候や空気も年々変化していってるだろうから。
何事もずっと「変わらず」はないのかも。
定森露子
2011.05.06 17:00|コラム, ブログ, 日記など
2011.04.01 20:05|お知らせ, ブログ
人生を、生や死から見つめ直してみたとき、
人生を、生きている意味から問い直しはじめたとき、
自分なりの人生や、いろいろな人生があることが明らかになります。
人が、自分自身が自己や世界に対する生き辛さを見つめ直し、より自己と世界が一致していくような道を探し求める結果が、それぞれの人の人生を創造するともいえます。
こうして人の命の数だけ、かけがえのない様々な人生の物語があるわけです。
また、ひとりひとりの人生の物語同士が複雑に絡み合いながら、かけがえのない人生が創造されていると思います。
命あるものは、誰もが代替不可能な存在なのです。 (定森 恭司)
2011.04.01 19:47|カウンセリング 名古屋, コラム, ブログ, 心理相談, 日記など
2011.03.02 15:03|お知らせ, ブログ