物憂い

ここのところ、少し物憂い。気分がすぐれない。曇り空。
「何が」というわけではなく、「何かがあって」というわけでもなく・・・
強いて言うなら、夏がおわりだからかもしれない。

でも、この物憂い感じは嫌いではない。静かで、時間の流れも遅いので、いつもよりゆっくり,まわりの景色をみたり、音をきいたり、自分の感じている感覚にふけったり。

あまり意欲はわかないので、仕事ははかどりませんが、しかし、そのうちに、なんだかしらないけれど、曇り空は晴れていく。

これはしかし、病気ではない。「うつ」ではない。人はいつも晴れを望むけれど、晴れだけでは疲れる(はず)。曇りは必要だと思う。  (定森露子)

「うつ」雑感

005

 

精神病理学で有名な医師の木村敏は、「わたしはいま、精神医学の臨床と哲学を一体のものと考える『臨床哲学』の道を歩いていますが、そういうわたしの目には、精神医学が急速に自然科学化し、脳科学化している現況が、非常に危険なもののように映ります」と「臨床哲学の知」(2008年)という本の中で昨今の精神医学の傾向に警告を発しています。私は医学に立脚する立場ではありませんが、心理相談において、臨床心理学と哲学を一体のものとして考えていくような「臨床哲学」を志しているものとして、まったく同様の危惧を抱いています。

特にうつ病に対しては、昨今の新聞やマスコミは、現代医学の研究成果として、神経伝達物質を中心とする脳神経的な生理的変化によって、一義的原因がすべてが解明されたかのような誤解を与える報道に危惧を抱いています。
最新の脳科学がうつに関して明らかにしているのは、あくまで測定可能として選択された神経伝達物質に関する変化と医学的にうつと診断された人との相関です。では、なぜ神経伝達物質の働きが不調になると、また神経伝達物質の不調になると、なぜうつになるのかとの説明となると、問題は複雑となります。ただ、脳科学の成果の中で、今言えることは、うつ病においては、脳のレベルでは、神経伝達物質の不調が起きるらしいと言えることです。しかし、あくまで言えることは、そこどまりだと思います。こうした「うつ」の扱いは、うつ状態とされる人が感じとっている主体(本人や周囲の人との関係)としての生きづらさや、その意味の変容までの説明は不可能です。神経伝達物質という神経生理学的レベルの変容でもって、うつとなっている人の悩みのすべてを説明を還元することはできません。もし、還元イメージを抱くならば、それこそ非科学的であり、ある次元では言える論理を、他の次元まで飛躍させているカテゴリーエラーといえます。

 

うつの増加に対しては、適切な医学的ケアだけでなく、不景気などへの就労支援や職場のメンタルヘルス対策の充実化や、うつ的思考や生き方の変容を扱うような臨床心理学的支援など、様々なアプローチを組み合わせることが大切なのです。
しっかりとした世界観や人間観などを探求する「臨床哲学」の土台をもたない心理学の自然科学化に危惧を感じるのです。      (定森恭司)