新しい生き方の創造

家族文化、地域社会の文化や日本文化などは、人の価値観形成に深く影響し、社会適応を助ける一方で、個性的な生き方を拘束し不自由にさせる面があります。

そこで人は、より創造的に生きようとすればするほど、既存の価値観とどうしても戦わざるを得なくなります。心理相談でも既存の価値観と新しい価値観をめぐる破壊と創造のドラマが展開することがしばしばです。

 

しかし中には、外界の価値観に過剰適応しすぎてしまっている人たちがいます。こうした社会的仮面に同一化してしまった人たちは、社会的価値観の受動的順応の代償として、仮面の下の「内なる我」は、顔なしで、空っぽの自分しかないと感じています。しかし、こうした人たちへの心的支援でも、「内なる我」が微かに感じている抵抗感や疑問などのうごめきに焦点を合わせ、その中でも自己充足的に感じる動きの増幅・拡充を図っていくと、自ずと新しい生き方の兆候を発見・創造する契機とすることができます。

うごめきは、最初はうまく言葉で表現できるようなものではなく、直感的で感覚運動的な動きとして体感される類いのものです。本来の自己を感じる時というものは、言葉以前の直接体験的な体感を得ている時といえます。非言語的な感覚運動的うごめきを実感している時なのです。

自己の直接体験内もうごめきを実感・自覚できるようになると、その後の新しい外界とのかかわりへの移行は意外にスムーズに進行します。こうしたうごめきの実感と自覚がない時には、いくら変化しようとして腑に落ちるような充足感がもてず、頭だけが空回りし悪戦苦闘することになります。腑に落ちる新しい生き方の発見・創造とは、自らが納得しているだけに、とてもその人にとっては生き易い人生の生き方となります。 (定森恭司)

葛藤について

葛藤という言葉から、どのようなイメージを浮かべますか?

一般的にいって西欧文化の影響の強い心理学においては、心の内に相反する2つの矛盾する欲求・動機や、人間関係における相反する心境を表現することが多いと思われます。共存できない2つの欲求・動機や状況に対して、いずれを選択するかといった心的緊張の際に用いるといえます。また、フロイトなど深層心理学的においては、心の深層から表面に出ようとするものと、それを抑えつけようとする意識と無意識との戦いを葛藤と呼びます。

これに対して、日本語としての葛藤は、同じツル科の植物である葛(かずら)や藤(ふじ)が複雑にもつれ絡む状態を語源として持ちます。仏語では、正道を妨げる煩悩、禅宗では、言語に囚われた心的状態を意味することもあり、物事の二律背反的に限らず、物事の複雑のありようを意味する面があります。

こうした言質の差異は、言葉になる以前の複雑な心境を重視する東洋的姿勢と、言葉による表現の矛盾・対立の統合を重視する西欧的姿勢の差異が影響しているように思われます。

そして実際のカウンセリングにおいては、どうやら言葉になる以前の複雑な心を複雑なままに直覚していくことが、心の適切な変容のためには重要なように思われます。言葉とは、言葉にならないものを言葉にするからでしょう。言葉が、言葉が表現する何かを失ってしまうと、むしろ言葉だけに囚われる生き方になるように思われます。 (定森恭司)