心理相談とは(2):生きる意味を問うことが大切です

アトラクター

生化学的作用が“こころ”の現象の成因に深く関わっています。しかし一般の人が関心があるのは、“こころ”の現象の成因以上に“こころ”の現象の意味にあるといえます。

成因と意味ではまったく語る次元が異なります。“こころ”の複雑な現象の意味は、生化学的反応では説明できません。意味は、民族、哲学、思想、芸術、宗教、信条、信念など歴史・文化などのテーマを抜きには語れません。人は生きる意味を問う存在です。末期癌と知れば、どう生きて死ぬのかといった実存的な意味のテーマと直面するのが世の常です。

しかしながら昨今、“こころ”の現象に対して、複雑な現象や特殊な事情を考慮することをできるだけ排除し、世界共通の物差しとなる診断基準や生化学的反応によって複雑な“こころ”の現象を説明していく流れが強くなっています。うつ病や発達障害、統合失調症など精神医学領域においても統一的な診断基準の活用や脳の生化学的反応や遺伝子領域の研究ばかりが際だつようになってきています。こうした流れは、医療産業化の流れとも呼応しています。

今日の薬剤の開発は、あたかも心の病は薬を活用すれば、すべてなんとかなるとの錯覚すら一部の人にもたらしています。

脳の働きや生化学的な考え方ばかりが強調されると、複雑な“こころ”の現象の捉え方そのものが、すべて生化学的反応こそが重要だとの考え方に行き着いてしまうのでしょう。しかしそうなると、心的苦悩のすべてがあたかも個人の病理のように捉える誤った風潮が高まり、薬ばかりに過度に依存し、気分は変わっても、悩みには変容がないというおかしな現象が起きてしまいます。“こころ”に関して、医療は万能ではありません。医療は、医療以外の視点をもちながら活用する時、もっとも効果をもたらすものであることを忘れてはならないでしょう。