感性と理性(1):内我と外我との関係

カント

自己と世界の出あいの不一致・一致とは、刻々の気分の変化を随伴する絶え間なく生成消滅する自己と世界の現象世界のことにほかなりません。こうした現象世界のことを私たちはこの世(現実世界)と感じています。

しかしこの世を感じとるためには、自己自身によって自己と世界の触れあいの直接体験自体が直覚される必要があります。直覚されてはじめて現実世界に生きているという自明性の感覚が与えられるのです。

こうした直覚の担い手をホロニカル心理学では、内我の機能として定義しています。内我というのは仮説構成体であって、どこかにあるというようなものではなく、そうした働きが自己の機能のひとつとして考えられるのでないかと推定しているわけです。内我が直覚するといっても、直覚の仕方は、気分毎に創り出されるイメージや表象がひとつがひとつの多声的な情調をつくりだしながら直覚されると考えられます。

こうした内我による非言語的な多声的直覚は、外我が学習した言語によって認識・識別(ホロニカル主体:理)の対象となって言葉を与えられることによって体系的に理性的に意識化されていきます。しかし体系化の途上で、もともと直接体験がもっていた生命力や多声性などの豊かさが失われてしまいます。

内我により直覚的に私たちは感性の働きを感じとり、外我による認識・識別に私たちは理性の働きを意識してきたと考えられるのです。

この両者を区別しておくことは大切です。理性的であっても感性に欠ける人、あるいは失感情的な症状や離人症に苦しむ人などがいるからです。こうした状態は、外我が機能していても内我と直接体験の間、あるいは内我と外我の間のつながりに困難があると想定されます。

ホロニカル心理学では、理性は感性をコントロールするためにあるのでなく、感性を理解するためにあると考え、感性と理性の対話がもっとも重要とみています。