“こころ”とは(2):無限に開かれた“こころ”

現代の考え方では、「心」「精神」「感情」「認識」などは、身体的自己の内部から起きる主体的で主語的な現象(「我」に所属する現象)と考えられています。しかし、本当にそうでしょうか?

ホロニカル心理学では、自己(場所的自己)は身体的自己のみならず非自己を含むものと考えます。そして意識、精神、感情や認識等は、まず場所的自己が、自己が生きる場所において、場所そのものに何かを感じるところ(直接体験)から始まると考えます。自己内部からだけではなく、非自己化された世界との不一致・一致を繰り返すところから、そもそも精神、感情や認識などが生まれると考えます。直接体験から生まれた精神、感情、認識の直覚や認識の担い手が主体的で主語的な我(現実主体)です。しかしその我(現実主体)が、あたかも直接体験をすべて自己制御できるかのように錯覚するようになると、「心」「精神」「感情」「認識」などは、身体的自己の内部から起きる主体的で主語的な現象(「我」における現象)に所属すると判断するようになってしまいます。しかし、そうした我(現実主体)は直接体験を感じることを忘却した主体(我)といえます。

ホロニカル心理学で考える“こころ”は、個人化された「心」を包含しつつも、もっと無限に開かれたものとして捉えて直します。そして自己が自己自身及び自己と関わるところのすべてに何かを感じるところに“こころ”が働いていると考えています。