生きる拠り所

抽象化され、論理的客体化された神・仏は、最早生きた神・仏とはいえません。

しかし人は、人生の悲哀や苦悩を前にして、生きて死んでいく意味を考究しないではいられず、存在の根拠を神・仏に限らず、“何か”を希求しないでいられません。

それ故、悲哀と苦悩を抱える自己にとって、神・仏を実感・自覚することができなければ、それに代わる自己の存在を支える“何か”が必要となります。

“こころ”は苦悩の源ですが、神・仏、何かの存在に気づくのも“こころ”のもつ力といえるのです。