信念対立と超克:人間の問題

太平洋戦争時代の日本軍の行軍の記録写真
信念対立は戦争にすらなります。

信念対立はいかにして起きるのか。またいかにして信念対立を乗り越えることができるのか。人間は、この問題に悩まされ続けています。この問題に取り組むことが、人間の社会的な営みの源泉ともなっています。その結果、信念は、時として信念実行のために、殺戮すら正当化してきたのが歴史的現実です。

信念対立は、信念を同じくする者との結束を強めれば強めるほど、信念を同じくできない者との間の決別・別離を避けることができません。

決別や別離は、もともと一即多にあった関係が崩れ、多同士が一としての全体性、統合性を失うことを意味します。その結果、場合によっては、多同士による断絶が一層激化することになり骨肉の争いになります。

元来、実感・自覚に基づく言栓不及の共通感覚の了解を基盤として成立するような、一即多、多即一ホロニカル関係)の絶対弁証法的世界を、外的現実世界においても実現しようとすると、その途端に、社会制度、組織づくりや信念をめぐる差異と対立が激化し、たちまちのうちに絶対弁証法的な統合性を失います。するとを同じくする各々の内的世界は、自己と世界の不一致によってカオス化し、対立する信念を統合する新たな信念が創発されるまでは、外的世界における激しい闘争を避けることができなくなります。場がどれだけ一即多、多即一による異なる多の社会的包摂能力を有しているか、そして新しい信念を創発する力を有しているかどうかが問われるわけです。

自己と世界の不一致・一致によって自発自展する人間の歴史的世界は、魑魅魍魎のせめぎ合いが展開する世界といえます。そして、こうした苦悩に直面して、内的世界の統合性を希求するところに宗教が成立し、外的世界の統合を希求するところに政治が成立すると考えられます。

一即多、多即一の実感・自覚による絶対弁証法的内的統合性は、外的世界の相対的矛盾と不一致・一致を繰り返し、その過程的弁証法の展開する世界が歴史的世界といえるのです。

しかも、宗教的な次元の絶対と政治的次元の相対は、必ず相矛盾し対立することを避けられません。しかし相矛盾することが安全弁でもあるといえます。というのは、宗教的次元と政治的次元の統合を主張する者を許す社会が、絶対主義の温床となると考えられるからです。

ホロニカル心理学では、ある信念とは、あるホロニカル主体(理)と概念化しています。