苦悩は創造の契機(7):煩悩即菩提

獅子舞

大乗仏教でいう煩悩即菩提という考え方は、ホロニカル心理学では、煩悩を消すとか、無くすることではなく、顕在化した苦悩を契機に潜在的な創造的生命力の働きに覚醒するという意味と理解します。

仏教でいう貪欲、瞋(しん)恚(い):激怒や怨み、愚痴の三毒には、誰もが“こころ”を奪われるものです。しかしながら、もし三毒に執着する浅ましい自己を否定せず直視することができるならば、三毒にとらわれてしまう自己自身のうちにも、自己の変容を可能とする自然な創造的生命力が包摂されていることに目覚めることができます。

最初はごく微かな創造的生命の動きへの気づきであったとしても、その微細な創造的生命力を増幅・拡充していくことができるならば、苦悩への執着状態から抜け出す最大のチャンスともなります。

自己は、自己と世界の一致を希求するからこそ、自己と世界の不一致に苦悩します。しかし、まさに自己と世界の不一致に苦悩する“こころ”の内にこそ、自己と世界の一致を希求する“こころ”が働きだすことに気づくことができるのです。そのためには自己と世界の不一致に執着していた自己を自己放棄(自己放下)することが必要になります。というのは自己放下できた時、もともと自己と世界の関係は一の関係にあったことに目覚めることができるからです。

自己は、自己として自立自存しようとすると自己と世界の合一関係を自ら破壊し、世界を非自己として自己から排除してしまいます。自己の自立心が、自己と世界との不一致を自ら創り出し、自己と世界の不一致の苦悩を創り出してしまうのです。自己は自己愛のために世界との不一致を余儀なくされるのです。こうして自己は、自己と世界の不一致に苦悩し、また自己と世界の合一関係を自ら破壊してしまう身に原罪意識を抱くのです。自己と世界は対立矛盾してしまうことを避けることができないのです。

しかし、それでも自己と世界の関係は、相即関係にあります(絶対矛盾的自己同一)。自己と世界は、不一致・一致の関係を無限に繰り返しながらも、一時も離れることなどない関係にあるのです。不一致と一致、苦悩とホロニカル体験、迷いと無心、妄心と浄心は、常に相即関係にあるのです。自己と世界の不一致に苦悩し、迷い、妄心することを避けることはできないけれども、すべて絶対無(空)から生まれ、そしていずれはそこに帰一し、また新たな世界を創造する源になるという事実に覚醒する時、すべては絶対的に肯定されるのです。

大切なことは、不一致・一致、苦悩とホロニカル体験、迷いと無心、妄心と浄心の無限の繰り返しの相即関係の繰り返しの中で、自ずと自己は自己と世界の本源的一致に覚醒することです。かつ現実の自己及び世界を自己と世界の一致に向けて変容させていくことのできる創造的な生命力を育むことといえるのです。