「IT(それ)」(8):「ホロニカル主体(理)」との関係

ホロニカル主体とは、「理」のことです。「自然の理」とか、「現象の背後にあって現象を現象たらしめている法則」を意味します。ただし、ホロニカル主体(理)の概念では、理性的な「理」の面だけではなく、「情」の面もあると考えています。

「理」の側面は、宇宙の原理、物理の法則、生物の法則、社会規範、生活規範、戒律、文化、美徳、思想、信条、信念、倫理などになります。

「情」の側面は、「苛烈な」「支配的」「批判的」「悲哀に満ちた」「慈悲的」などの側面をもちます。

「理」と「情」で、ひとつのホロニカル主体(理)を形成しますが、ホロニカル主体(理)の識別基準や理の秩序体系そのものが、自己の発達や歴史・文化の変遷の影響を強く受けるため、自己の発達段階や自己の所属する自然環境、歴史的環境や社会文化の差異によって、多様なホロニカル主体(理)が形成されます。しかしながら、ホロニカル主体(理)から環境・歴史・文化の影響を脱統合していくことができれば、ホロニカル心理学が「IT(それ)」と概念化するすべてのホロニカル主体(理)を生み出している究極の絶対的総覧的統合的な理になると考えられます。

しかし「IT(それ)」という概念自体は自己矛盾しています。言葉でもって語ることも、人格化することもできず、呼びようのないものである究極的なものだからです。それでもこうした言詮不及の究極的な絶対的総覧的統合的働きに対して、人は、「神」「仏」「アラー」など名を与えてきました。ただし、名を与え、「IT(それ)」について語りだした途端、あたかも異なるものがあるかのように錯覚しますが、「IT(それ)」自体は、あらゆる対立をしてい超越しています。「IT(それ)」は、「絶対無(空)」といえるのです。

本来「絶対無(空)」を「IT(それ)」が絶対的なるものとして総覧し統合している全一的世界が、あるがままの世界といえるのです。自己は、「ホロニカル主体(理)」によってあたかも多様に識別された万物からなる世界であるかのよう錯覚してしまっているといえるのです。すべては「絶対無(空)」からなる世界を、「IT(それ)」の働きが自己を通して総覧し統合しているといえるのです。「色即是空」が「空即是色」といえるのです。