症状・問題の意味

人の“こころ”は、当人が意識している以上に歴史・文化の影響を受けています。深層心理学的観点からすれば深いレベルで、神経・生理学的観点からすればエピジェネティックスなレベルで影響を受けていると考えられます。

ところが、多くの人の感覚は外的世界の影響からは案外切り離されています。自己は、自己意志に基づく自己決定によって自由に生きることのできる自立自存した存在と信じているのです。その結果、社会に生きづらさを感じたとしても、それは自分自身に問題があるからだと自己卑下的に受け取りがちです。

現代社会は、昭和時代から令和時代に至る間に、ベルトコンベアー式による大量生産方式から、ポスト・フォーディズムといわれるように、多様なニーズに融通性を持って対応していく生産方式に社会が大きく転換してきています。その結果、真面目かつ勤勉に努力さえすれば、誰もが持続的成長の恩恵を受けて明るい未来を描くことができた時代から、柔軟性、臨機応変性、迅速性に即応できる生き方が求められるように変質してきました。そして、変化についていけない人は、障害者、疾病者、脱落者として社会の中心から疎外され周辺人として処遇されるようになりました。

しかも、すべての機会は平等に与えられているという政策下、あとは本人の自己責任による自助努力の問題とされることによって、ほんの一部の人の成功物語を理想として憧れる努力不足によるその他大勢、という構図の格差社会を創りだしてきてしまいました。

しかも最も深刻な問題は、周辺に追いやられた多くの人が、社会的スティグマに自ら染まり、自分自身の問題であると自虐的になってしまっていることです。

周辺人は、もっと内なる正当な疑問・抵抗感・憤怒に覚醒してもよいのではないでしょうか。様々な身心の症状に付き合っていく中、症状・問題とは、そうした外我に対する内我のレジスタンスをまず包含しているのでないかと思うようになってきています。

まず自らが自らを解放し、次に適切な自己主張を他者や社会に向かって自己表出し、開かれた対話に臨む力を身につけることが生き残るために必要になってきたと考えられるのです。