ホロニカル心理用語集

ホロニカル心理用語集

ホロニカル心理学は、心的症状や心的問題などの生きづらさを抱える人たちへの心的支援としてホロニカル・アプローチを研究していく中で、これまでの心理学概念のパラダイムから新しいパラダイムへのシフトへの必要性から自然に形成されてきました。
ここでは、ホロニカル心理学やホロニカル・アプローチで用いられる主要概念について説明します。

ホロニカル心理学で用いられる重要概念

 

ホロニカル心理学は、心的症状や心的問題などの生きづらさを抱える人たちへの心的支援としてホロニカル・アプローチを研究していく中で、これまでの心理学概念のパラダイムから新しいパラダイムへのシフトへの必要性から自然に形成されてきました。

ここでは、ホロニカル心理学やホロニカル・アプローチで用いられる主要概念について説明します。

<ホロニカル心理学で用いられる重要概念>
1 “こころ”の仕組みを理解する時に用いられる主な概念
※ホロニカル心理学の心的構造論にあたります。
それ(sore)
現実主体(我)
「内我」と「外我」
ホロニカル主体(理)
自己

2 “こころ”のあらわれ方を理解する時に用いられる主な概念
※ホロニカル心理学の心的現象論にあたります。
“こころ”の多層性・多次元性
直接体験(自己と世界の出会い)
ホロニカル体験
絶対無(空)=“こころ”
絶対矛盾的自己同一
自己組織化
一瞬・一瞬

夢(ドリーム)言語
フラクタル構造
心的症状や心的問題(生きづらさ、苦悩)
自己照合システム
気分
不一致・一致
観察主体と観察対象の関係の不確定性

3 発達の理解のための概念
※ホロニカル心理学の発達論にあたります。
自己意識の発達
観察主体の発達段階

4 ホロニカル・アプローチで活用される主な概念
※ホロニカル心理学の実践論にあたります。
実感と自覚
共同研究的協働
自己言及的自己観察の場
自由無礙の俯瞰
鏡映的反射と共鳴的反射
共感
外在化
チャンネル
差異の明確化
主な技法
小物による外在化
場面再現法
対話法
心的イメージの増幅・拡充法
能動的想像法
ただ観察
エンパワ-メント法
サイコモデル法
超俯瞰法
スケール化法
無意識的行為の意識化法
ホームシミュレーション法
スポット法
三点法

5 基礎資料
ホロニカル・アプローチにおける基本的な考え方
多層多次元の問題解決への新たな視点:ホロニカル・アプローチ
ABCモデル
見立てや方針決定のための基礎資料

※詳しくは、心理相談室こころ室長 定森恭司著の「ホロニカル・セラピー:内的世界と外的世界を共に扱う総合的アプローチ」(遠見書房,2015)、または、定森恭司・定森露子共著の「ホロニカル・アプローチ:統合的アプローチによる心理・社会的支援」(遠見書房,2019)を参照ください。

自己意識の発達

自己意識の発達 (2024.1.24作成,2024.11.20改訂 定森恭司)

<自己意識の発達とは>
 自己は、有(生)と無(死)がせめぎ合いながらも同一に存在するような絶対無(空)という場から創造され、かつ絶対無(空)の場に包まれています。

 ホロニカル心理学では、“こころ”とは、個人内の意識活動を含みかつ超越する絶対無(空)と考えています。絶対無(空)の場では、創造と破壊を司る生命エネルギーであり、多様化・分節化の働きとしての「エス」と、一切合切を全総覧し包摂的に統合する「IT(イット)」の働きが相矛盾しながら同一に働きます。般若心経の色即是空・空即是色の世界が展開している全フィールドが“こころ”と考えています。

 自己は、有(生)と無(死)という矛盾をはらんだ存在として、「エスとIT」の働く創造的世界という場から創造された創造的世界の一要素と考えられます。しかも自己は、同じく創造的世界の一要素として創造された生成生滅を繰り返す万物と、ホロニカル関係(縁起的包摂関係)にあります。自己と世界(一切合切の出来事)がホロニカル関係にあるが故に、自己は世界と不一致となって対立しながらも、世界を自己自身に映し、世界を自己自身に包摂しながら、適切な自己を自己組織化させます。また世界も一切合切を世界自身に映し、一切合切を世界自身に包摂しながら、適切な世界を自己組織させます。

 創造的世界でもある絶対無(空)から生まれた自己と世界(一切合切の出来事)は、ミクロからマクロに至るまでホロニカル関係を形成しながら重々無尽の歴史的創造的世界を創造していると考えられるのです。

 創造的世界の一要素として創造された自己Aは、死してまた新たな創造的世界の一要素になります。こうした自己Aの生死の物語には、宇宙開闢以来の壮大な物語が包摂されながら新たな物語を創造していると考えられるのです。

 自己は、世界に対して閉じた存在ではなく、身体的自己を超え世界に開かれた超個的な存在でもあります。自己は、歴史的に自己組織化されている場所的存在といえるのです。
 場所的自己は、場所的自己が生きる場所の無秩序や秩序などを自己自身に映し、それを包摂しながら、場所的自己自身を発達させながら、やがて一生を終えます。場所的存在としての自己は、場所を共にした人の記憶に残る存在として一生を終え、場所と自己を創成した場そのものに還ると考えられるのです。

<自己意識の発達段階>
 自己意識の発達には、次に示すような段階があるとホロニカル心理学では考えます。

第0段階(ゼロ・ポイント)
 自己と世界の誕生前です。自己と世界が誕生する絶対無(空)の場です。

第1段階(混沌)
 場所的自己と世界の不一致・一致の直接体験における自己と世界の関係が、まだエスの働きが活発なのに対して、自己内のIT(イット)の働きがまだ弱いため、すべてが無境界で混沌した状態ある段階です。混沌段階では、場所的自己が生きる場所とは、いつも共振的共鳴的に一致するとは限りません。その結果、場所的自己と場所が一致する時には、自己にとって生きる場所は「天国」そのものであり、不一致の時には、「地獄」そのものとなります。第1段階では、天国と地獄が絶え間なく繰り返されると考えられます。
 なお、この時の場所的自己(赤ん坊)が生きる場所とは、通常、養育者を含む養育環境を意味し、場所的自己にとっては、場所と融合したものとして体験されています。またこの段階の場所的自己は、その記憶を身体に刻み込みます。この段階の場所的自己の意識は、また個としての意識に目覚める前の前個的意識といえます。

第2段階(融合)
 その後、自己が生きる場所と場所的自己が不一致・一致を繰り返すうちに、場所と場所的自己の不一致のときに、内的世界と外的世界が融合したままの内外融合的主体(我という個の意識の前段階、エスとITの働きが融合する中心)が機能的に結晶化してきます。しかし内外融合的主体は、場所と場所的自己の不一致時の一瞬に創発されても、再び一瞬にして泡のように混沌世界に呑み込まれていきます。
 この時期の内外融合的主体にとっては、ITの働きは、場所はもっぱら重要な養育者を通じて、原初のホロニカル主体(理)として経験されます。原初のホロニカル主体(理)の段階では、場所と場所的自己が一致の時には、場所的自己にとって生きる場所は、「慈悲的な世界」として場所的自己によって体験され、不一致の時は、「苛烈な世界」として体験されます。原初のホロニカル主体(理)は内外融合的主体に内在化されます。
 なお、場所的自己は、その記憶を身体に刻み込みます。この段階の場所的自己意識は、前個的です。

第3段階(幻想)
 その後、内外融合的主体は、場所と場所的自己が不一致・一致を繰り返す中から、場所的自己内に、エスの働きを身体的自己同一性でもって直覚する統合機能をもった原初の内的現実主体(内我)を結晶化させます。この時、原初の内我にとって、場所的自己と一致の快をもたらす対象は、すべて場所的自己が独占しているものという感覚をもたらします。逆に、原初の内我にとって、場所的自己と不一致の不快となるものすべては、原初の内我からは分裂・排除され、非自己化なるものとして外界に映され、幻想的なホロニカル主体(理)を内在化した外的現実主体(内外融合的外我)が形成されます。
 幻想的ホロニカル主体(理)の段階では、場所と場所的自己の一致は、「慈悲の世界」となって場所的自己に体験され、不一致の時は、「支配的な世界」として体験されます。 なお、場所的自己は、その記憶を身体に刻み込みます。この段階の場所的自己は、前個的と個が交錯します。

第4段階(他律)
 その後、内外融合的外我は、場所と場所自己が不一致・一致の繰り返しの中で、場所的自己が所属する社会の既知の理(ホロニカル主体)による物事の識別基準を積極的に取り込みながら、自己(内的世界)と非自己(外的世界)とを識別する認知能力をもった外我に脱統合されながら発達していきます。そうした外我に対して、内我は、エスの生命エネルギーに動かされながら自己と世界の不一致・一致のさまざまな直接体験を統合的に直覚する役割を積極的に担うように発達していきます。
 既知のホロニカル主体(理)の段階では、場所と場所的自己が一致の時には、場所的自己にとって生きる場所は、「慈悲的な世界」として体験され、不一致の時は、「批判的な世界」として体験されます。既知のホロニカル主体(理)は他律的外我に内在化されます。
 なお、場所的自己は、その記憶を身体にも刻み込みます。この段階の場所的自己意識は、個的です。
 この段階の外我と内我の不一致・一致の繰り返しは、次に示すような認知の発達段階とともに、自己意識を段階的に発達させていきます。
①2歳半~3歳にかけて,大小・長短・美醜などの二次元的比較が出来るようになると、内我そのものを観察対象とする他律的外的現実主体(他律的外我)が芽生えだします。すると自己自身を他から識別して実感・自覚するようになり「私」という主語的意識が芽生えてきます。主語的主体的意識の目覚めは,第一反抗期をもたらします。しかし思考の能力は前論理的で直観的であり自己中心的です。
②7~9歳位になると,具体的事物についての論理的操作ができるようになります。それに伴いそれまでの自己中心的世界の脱中心化が進み,ちょっとしたルールや他者の視点から物事を理解することができるようになります。

第5段階(自律)
 その後、場所と場所的自己の不一致・一致の繰り返しの中で、ホロニカル主体(理)を内在化した外我は、内我との対話を通じて、内的世界(自己)と外的世界(世界)の不一致・一致が、より一致する方向に自己及び世界を変えようとしていきます。それは内的対象世界においては、既知のホロニカル主体(理)を内在化する外我と自己と世界の不一致・一致の直接体験を統合的に直覚する内我との葛藤という形で展開します。特に、言語や記号による抽象的な論理の操作能力を獲得する思春期に葛藤は先鋭化しはじめます。そうした認知能力の獲得は、外我自身がこれまで内在化していた既知のホロニカル主体(理)が、内我にとってむしろ生きづらさをもたらす場合もあることに気づくようになるためです。これまで外我によって制御されていた内我が、自己と世界の出あいの不一致・一致の直接体験を自己照合の手がかりとして自己主張しはじめたといえます。すると、次第に他律的外我は,内的現実主体と適切な対話軸をもった自律的外我に時間経過の中でゆっくりと移行していきます。そして自律的外我は、より生きやすさをもたらすような新たなホロニカル主体(理)を自ら創発するようになります。
 創発的ホロニカル主体(理)の段階では、場所と場所的自己が一致の時には、場所的自己にとって生きる場所は、「慈悲的な世界」として体験され、不一致の時は、「悲哀の世界」として体験されます。創発的ホロニカル主体(理)は、自律的外我に内在化されます。なお、場所的自己は、その記憶を身体にも刻み込みます。この段階の場所的自己意識は、個的と超個が交錯します。

第6段階「それ(sore)」
 その後、場所と場所的自己の不一致・一致の繰り返しの中で、場所的自己は、場所的自己そのものを創造した生死の場である絶対無(空)との不一致・一致の中で、場所的自己と場の一致に向かって、より高次な場所的自己を自己組織化していきます。そして、場所的自己の究極に、場所的自己は、創発的ホロニカル主体(理)を脱統合する中で、すべてを全総覧する絶対的主体である「IT(イット)」を発見します。
 この段階の場所的自己の意識は、自己が自己の存在が有限個物であるとともに超個的存在でもあることを意識するようになっていきます。「IT(イット)」の発見は、その後、破壊と創造の生命エネルギーである「エス」との関係が相矛盾しながら同一の関係(絶対矛盾的自己同一)にある「それ(sore)」の働きの実感・自覚を促進していきます。この段階にまで至ると、自己と世界の関係の不一致・一致に関係なく、すべてが、“こころ”の「それ(sore)」によるはからいとして体験されるようになってきます。

<重層的発達>
 原則、発達の各段階は、次の発達段階に統合されていきます。しかし、自己が心的危機に陥ったり、何かの障害が契機となり、前段階に後戻りします。また、“こころ”は多層多次元な顕れを示す存在ですから、ある層やある次元の発達段階と、別の層や別の次元の発達段階が異なって顕れることもあります。
 発達段階を固定的に捉えず、様々な発達段階が重層性と幅をもって同時・併存的に出現してくると、柔軟に考えることが重要です。それぞれの発達段階には、出現率の差異があると大枠で捉えることが望まれます。
 自己と世界の不一致の累積体験によって形成された、“こころ”の多層多次元の特定の層や特定の次元のある問題(心的症状や心的問題等)に対しては、もっとも低次な発達段階に停滞・固着したままの外我と内我をめぐる悪循環パターンを発見することができます。しかも頑固な問題ほど、外我と内我の関係をめぐる低次の発達段階の悪循環パターンを、“こころ”の他の層、他の次元にも発見することができます。逆に、自己と世界の一致の直接体験(ホロニカル体験)時には、外我と内我のもっとも高次レベルの発達段階を確認することができます。

<自己と場(生活環境)との関係>
 発達段階は重層的かつ幅があるため、支援者の態度や場所が異なると、まったく異なる自己の発達段階の外我や内我が出現してきます。被支援者にとっては、支援者やその時の場所が世界を象徴するため、支援者とその時の場所との関係が、被支援者の自己自身に映され、被支援者の自己と世界の不一致・一致を、外我と内我の関係がその場所(たとえ支援の場であろうと)に顕れるからです。
 しかしながら、いずれの段階にあっても、自己意識の発達段階に関係なく、自己と世界の一致の直接体験(ホロニカル体験)は、外我と内我の一致を促進します。したがって、生活の場が安全で安心できるところであるかどうかについては、自己の発達段階がどの段階にあっても自己の最大関心事となっています。
 脳の器質障害や機能障害があると、発達段階の節目の移行でつまずきやすく、場合によっては、次の段階の節目の移行が困難になります。しかし、そのような場合にあっても、生活の場が、一貫性をもち、安全かつ安定しており、信頼がおけるような、“ほどよい環境”の場合には、内的現実主体は、自己と世界の一致のホロニカル体験を累積しやすく、外我との関係も一致しやすくなり、とても豊かで安定した日常生活を送ることができます。

<安全で安心できる場所づくりの大切さ>
 長年にわたる知的障害や重い発達障害や精神障害をもった人たちとの交流を通じて思うことは、人は障害の有無に全く関係なく、いずれの発達段階においても、安全で安心できる場所さえ得られれば、幸せをいつでも体感することができるということです。

※2024.11.20以前と以降では、ホロニカル心理学における「それ」の作用の捉え方が変容していることに留意ください。以前は、「それ」の「IT」の面の論究が中心で、エスは「それ」には含まれていませんでした。その結果、長く「IT(それ)」と表記され、「エス」は別の作用として扱われていました。以降は、「それ」に「IT」と「エス」の相反する作用が同一にあるとの観点に統合されています。

※プロイセン王国の哲学者イマヌエル・カント(1724-1804)は、デカルトの合理論とロックやヒュームの経験論を統合しながら、理性の限界と可能性を明らかにしていく中で、認識の背後に「超越論的主観性」があると提唱しました。カントによれば、私たちの経験は、「超越論的主観性」の枠組みによって経験が統一され、認識が可能になるとしました。しかし、人間の認識能力には限界があり、物自体(Ding an sich)は直接的には認識されないとしました。「超越論的主観性」は、すべての現象を基礎づける形而上学的(超自然的)原理であり,それ自身は世界(自然)を超越しています。こうした考え方は、「人間の認識は対象に従う」という考え方を、「対象が人間の認識の仕方に従う」という考えに逆転を迫ります。そのためカントは、「コペルニクス的転回」を図り、近代科学の科学的認識の限界とともに哲学的基盤を提供したとされています。カントの「超越論的主観性」は、「神」「仏」と同じようにホロニカル心理学の「IT」に相当すると考えられます。
※ゲオルグ・グロデックの「エス」は、「私はエスによって生きられている」と、生命が成立するうえでの根本的なエネルギーのようなものとしました。グロデックは、フロイトのいう「自我」は、エスの表現形式とします。しかし、これに対して、フロイトは「エス」は、あくまで心的装置のひとつしました。フロイトの自我は、近代的自我と言われるものに相当します、ホロニカル心理学的には、我(現実主体)のうち理性的な思惟の中心である外我に相当すると考えられます。そのためフロイトの「エス」は、現実原則に基づく自我によって制御・コントロールされるべき衝動のように扱いました。しかし、「エス」の概念を借用しながら、「エス」に対して否定的意味をもたせたフロイトに対して、グロデックは強い憤りを抱くようになり、二人の間には、決定的な溝が生まれたようです。こうしたフロイトとグロデッククの係争を知る中、その差異と経緯を研究するとき、ホロニカル心理学の「エス」は、グロデックの「エス」に近いことが明らかになっています。

※詳しくは、心理相談室こころ室長 定森恭司著の「ホロニカル・セラピー:内的世界と外的世界を共に扱う総合的アプローチ」(遠見書房、2015)、または、定森恭司・定森露子共著の「ホロニカル・アプローチ:統合的アプローチによる心理・社会的支援」(遠見書房、2019)を参照ください。
 

付表 自己意識の発達段階

ABCモデル

1 ABCモデルとは
ホロニカル・アプローチの基本モデルとしてはABCモデルがある(図1)。これは自己と世界の不一致・一致を自由無礙な立場から俯瞰することができれば,自己と世界の一致に向けた自己の自己組織化を促すことができると捉えるホロニカル・アプローチのパラダイムをわかりやすく可視化したものである。

ABCモデルでは,自己と世界の不一致(自己違和的体験)をA点,自己と世界の一致(ホロニカル体験)をB点,俯瞰(協働)をC点として,A点とB点という相矛盾するものを同一のC点から適切に観察できるようになれば,自ずとB点に向かって自己組織化していくと考える。つまり,ホロニカル・アプローチのABCモデルとは,不一致・一致の俯瞰モデルといえる。

ABCモデルでは,安全感・安心感をもたらす自己と世界の一致の直接体験に伴うホロニカル体験と,被支援者が執着している自己違和的体験との間を「行ったり・来たり」する自己自身を適切な観察主体から観察することで,自己違和的体験に伴う不快感,警戒心,恐怖感,緊張感や否定的認知の軽減または緩和を試みる。具体的には,自己違和的体験に伴う神経生理学的な興奮の鎮静化を,陽性感情を伴うホロニカル体験の想起などを促しながら図る。また,できるだけ自己違和的体験ばかりでなく,ホロニカル体験を含むさまざまな直接体験の全体を適切な観察主体から俯瞰できるようになることを促進する。
陰性感情を随伴する自己違和的体験の興奮の鎮静化は,気分の安定化をもたらすことができる。さらに,気分の安定化は,自己違和的体験への執着からの脱却を促すばかりではなく,より創造的な人生に向かう自己の自己組織化をもたらすと考えられる。

なお,ABCモデルによる支援を行うにあたっては,自己違和的体験(A点),ホロニカル体験(B点),適切な観察主体(C点)を小物や描画によって可視化して実施するとより効果的である。

自己違和的体験(陰のホロニカル的存在)とは,自己と世界が不一致となることで経験する不快感・苦痛・苦悩・陰性感情の直接体験のことである。トラウマ体験を含む自己違和的体験の累積が苦悩を形成すると考えられる。不一致の自己違和的体験があまりに度重なったり,たとえ一過性でも生死に関わるような強烈な不一致の自己違和的体験があったりすると,観察主体は視野狭窄的になって,不一致の直接体験ばかりを観察対象としがちになる。その結果,観察主体と観察対象の関係は,執着性,反復強迫性を帯び,不快な気分の高まりが,混沌とした感じを増幅していくことになるとされる。

ホロ二カル体験(陽のホロニカル的存在)とは,忘我して,自己と世界が無境界となって,すべてをあるがままに一如的に体験しているときのことであり,観察主体が無となって観察対象と「一」になったときに得られる。そのため,「得よう」という「我の意識」が少しでも働いた瞬間,ホロニカル体験は得られなくなってしまう。意図,思考しようという観察主体の意識が少しでも働いた途端,観察主体と観察対象が分断されてしまう。ホロニカル体験は,むしろ事後的に,「さっきの体験が,ホロニカル体験といわれるようなものだったのか」と頓悟することが多い。ホロニカル体験時には,「ホロニカル体験」を意識する「我」が「無」となっているため,そのまっただ中にあっては,「無我夢中」「無心」「忘我奪魂」の体験があるとしかいえない。ホロニカル体験時には,人生の些細な苦悩が,自己と世界が全一となった感覚によって包まれ,至福へと変容する。こうしたホロニカル体験の累積が,自己と世界の不一致からくる生きづらさから人を守る基盤となる。

2 ABCモデルの基本的な考え方
ある出来事やある心的対象(気分などを含む)に対して視野狭窄的になり,観察主体の意識がある観察対象ばかりに執着し,悪循環に陥ってしまうことがある。ABCモデルでいうところのA点固着状態である。一般的には,A点に固執する被支援者にあっても,自己違和的体験が軽微な場合は,被支援者の観察主体の視点はC点を維持できている。このようにC点が確立されている事例においては,傾聴をベースとした受容共感的アプローチを行えば,一時的に被支援者の観察主体がA点に呑み込まれそうになったとしても,被支援者自らがC点やB点に移動することは可能である。

しかし,被支援者の自己違和的体験が重篤な場合や,観察主体が脆弱な場合は,受容共感的アプローチだけでは不十分である。支援者が被支援者の自己違和的な体験をただひたすら受容的に傾聴し続けていると,被支援者のA点に関する語りはエンドレスになるとともに,執着心を一層強化してしまうなど,かえって逆効果になってしまう危険性すらある。そのため,こうした場合には,主客合一となるホロニカル体験(B点)や適切な観察主体のポジション(C点)への移行をサポートする必要性が出てくる。

自己と世界が一致するB点のホロニカル体験への移行の促進の仕方には,①被支援者の過去においてすでに体得しているホロニカル体験の想起と増幅・拡充を図る方法,②面接の場という「今・ここ」における被支援者のホロニカル体験の体得を促す方法の2つの方法がある。

A点に執着的になることがあるとしても,適切な観察主体(C点)をある程度確立している被支援者などは,B点のホロニカル体験を豊富に持っていることが多く,①の方法に効果が見込めると考えられる。しかし,被支援者のホロニカル体験が不足している場合や,C点の観察主体が脆弱な場合は,②の方法である面接という場における「今・ここ」の被支援者のホロニカル体験の充実化を積極的に促進する必要がある。

いずれの場合でも,観察対象A点やB点と一定の心的距離を保ち,かつ,いつでもA点とB点との間を「行ったり・来たり」することを可能とするような「適切な観察主体」(C点)の確立・強化・補完が重要といえる。

3 ABCモデルの基本形
ABCモデルの基本形は,前述した図1の通りである。これはABCモデルを二次元的に表現したときの図である。

A点で観察主体が観察対象を,「層」としたとき、個人的無意識,家族的無意識,社会的文化的無意識,民族的無意識,人類的無意識、哺乳類的無意識、は虫類的・・・・量子的無意識といった「内的対象関係」が考えられる。また観察主体が観察対象を「次元」としたとき,個人的次元,家族的次元,社会的文化的次元,民族的次元,人類的次元,地球的次元、宇宙的次元といった「外的対象関係」が考えられる。

A点においては,観察主体と観察対象をめぐる多層性内や多次元性内の各位相間,あるいは層と次元間での位相間における不一致による悪循環が,自己違和的な直接体験として顕在化する。その一方で,B点においては,ホロニカル体験の瞬間,自己と世界は一致となり,その後,多層多次元間の位相の不一致の自発自展的な統合化が促進される。こうした特徴をもつA点とB点の「行ったり・来たり」が,自己と世界の一致に向けての適切な自己の自己組織化を促すと考えられる。
自己と世界の不一致による自己違和体験と,自己と世界の一致のホロニカル体験の往復は,一見対立するようにみえるものが,実は不可分一体であるとの実感・自覚をC点の立場に立つ観察主体にもたらしていく。このように瞬間・瞬間,不一致と一致を繰り返しながら,自己と世界の縁起的包摂関係(ホロニカル的関係)を実感・自覚していくことには,いくつかの段階があると考えられる。こうした発展仮説を可視化すると,以下の3つのモデルによって示すことができる。なお,各モデルの観点は,支援者自身の意識であり,その支援者の観点の意識の差異を示しているといえる。

 

4 ABCモデルの発展①モデルⅠ(個人モデル)

モデルⅠは,「個人モデル」である。C点の意識は,自己と世界の不一致・一致の繰り返しの直接体験を累積していった個人の次元を対象としている(図2)。自己の世界との不一致・一致の直接体験は,A点とB点を両極としながらも,多様多彩の組み合わせとして存在する。その多様性を円で表現したとき,観察主体と観察対象の個人的次元の関係は円錐モデルとなる。

 

 

②モデルⅡ(場所モデル)
次にモデルⅡは,「場所モデル」である(図3)。C点の意識は,

当事者や被支援者ばかりでなく,家庭,学校,施設,企業,ある特定の地域社会などにおける家族知人,関係者も支援対象とし,当事者や被支援者を含む場所そのものが適切な場所となるように意識されている。ホロニカル・アプローチでは,自己を場所的存在と捉えており,モデルⅡでは,場所も支援対象となる。対象となるのは,家族,組織,地域社会など,いろいろな場所の限定が考えられる。

モデルⅡでは,各々の自己にとって,自己と世界との不一致・一致が観察主体と観察対象の不一致・一致の現象として場所から立ち顕れてきていることを表現している。大円錐で表現されている領域内が,各自己が所属する社会的場所(家庭,学校,企業,地域社会など)に相当する。したがって,大円錐の頂点のC点は,超個的次元の観察主体といえる。しかし,この大円錐の頂点のC点の観察主体は,歴史的・社会文化的影響を受けたホロニカル主体(理)の影響を受けている。したがって大円錐内にある各自己のC点も,当然のこととして所属する社会の既知のホロニカル主体(理)の影響を受けていると考えられる。この段階では,支援者は,当事者および当事者を含む家族や関係者を支援対象としている。

③モデルⅢ(場モデル)
モデルⅢは,「場モデル」である(図4)。ここでは,場と場所的自己の不一致・一致レベルを扱う。

場モデルの段階では,生死の場との一致を求める真の自己の実感・自覚に向かう。すべての現象が,絶対無(空),あるいは存在と意識のゼロ・ポイントから生成消滅を繰り返しており,そのことが多様な観察主体と観察対象の不一致・一致の現象なっていることを実感・自覚していく段階である。絶対無(空)の実感・自覚が深まるにつれ、歴史的・社会文化的影響を受けたホロニカル主体(理)は、脱統合され、究極的には、「それ(IT)」となる。

場とは,過去を含み未来が開かれてくる「今・この瞬間」にすべての現象が生成消滅を繰り返しているところである。ホロニカル・アプローチでは,あらゆる現象が立ち顕れてくる究極の場は「絶対無」「空」であると想定している。モデルⅢは,支援の対象が,生死の場(絶対無)との一致を求めるトランスパーソナルな段階であり,支援者の意識は,当事者の場所の限定を離れて,生死の場そのものに共に生きる感覚になる。

ABCモデルの段階説では,ある場の時間空間的な限定によって,場所的自己ともいえる自己と世界が,不一致・一致を展開する。その結果,場所が異なると,異なる場所的自己と場所の不一致・一致が自発自展するが,究極的には,すべての場所がおいてある生死の場に,場所的自己は,その死によって,最終的には場に還元的に一致することを示している。

見立てや方針決定のための基礎資料

ホロニカル・アプローチの見立てや方針決定
のための基礎資料 (2024.1.24,定森恭司)

この資料は、「観察主体の発達」、「自己意識の発達 」と合わせて理解すると、ホロニカル・アプローチ(以下HAと略)の見立てや方針決定の有効な手がかりとなります。

<はじめに>
 「ホロニカル」とは、ホログラフィック・パラダイム (Wilber、 1982) やホロン (Koestler、 1978) といったニューサイエンスの影響を受けて作り出されたオリジナルの用語です。「部分は全体を包摂しようとし、全体も部分を包摂しようとする関係」「部分と全体の縁起的包摂関係 」を意味します。「ホロニカル関係」とも表記します。
 HAでは、自己は場所的存在と考えます。場所的自己は、自己が生きる場所のもつ一切合切の矛盾・対立を自己に映し、自己自身に織り込みます。
 この観点に立脚すれば、ある心的問題について、要素還元主義的な観点から因果論的に記述することは簡単にはできないという立場になります。ある思考、ある姿勢、ある言動、ある仕草などのあらゆる自己におきる出来事は、他の部分や全体から独立して原因として抜き出すことはできず、内的世界から外的世界にわたる多層多次元な問題の一切合切の矛盾・対立が包摂されていると考えます。一見、多層多次元にわたる“こころ”の現象は、どの部分を取り上げても、その部分には全体が包摂され、全体にも部分が包摂されている出来事として捉え直されます。
HAは、「心的苦悩を契機に、より生きやすい生き方を発見・創造するのを促進する支援法」です。 ある心的苦悩を部分とするとき、その部分には、一切合切の矛盾(全体のもつ矛盾)がホロニカル的に包摂されていると捉え直されます。そしてある部分をめぐる観察主体と観察対象の関係自体の変容を図れば、ある苦悩も適切な自己と世界の自己組織化の契機にすることができます。この時に、大切なキーコンセプトが「俯瞰」です。この資料は、「俯瞰」の理解が進むと、HAの見立てと方針決定に役立ちます。

1「自由無礙の俯瞰」
①「俯瞰」
 俯瞰とは「観察主体と観察対象の関係自体を観察する行為」を意味します。
俯瞰とは、観察主体と観察対象の関係が一致するときから、不一致になるときまでを含み観察する行為のことです。
 観察主体と観察対象の関係が一致するときとは、観察主体と観察対象との間の区別が一切なくなることです。両者に区別がなくなるとは、自己と世界の区分の境界がなくなり、無境界になることです。
 自己と世界の関係が無境界になるとは、観察主体(我)が我を忘れて(無我)、すべてがあるがままの全一の体験になることです。ホロニカル心理学では、自己と世界の一致を「ホロニカル体験」と呼びます。「俯瞰」には、観察主体と観察対象の関係が不一致のときばかではなく、観察主体と観察対象の関係が一致したときの「ホロニカル体験」を含みます。
 観察主体と観察対象の関係が不一致になるとは、観察主体が、何かを観察対象として識別し認識することを意味します。観察主体と観察対象の区別なきあるがままの全一の世界から、「空」「犬」「人間」「怒り」とか何か名をもったものを区別し理解したことを意味します。観察主体と観察対象の一致の関係が破れ、観察主体と観察対象の間に境界が生じることです。区別の基準は、観察主体が内在化している識別基準によります。ホロニカル心理学では、識別基準をホロニカル主体(理)と呼びます。
 観察主体と観察対象の関係の不一致・一致とは、自己と世界の関係の不一致・一致を意味します。ホロニカル心理学では、自己は、自己と世界の不一致・一致を繰り返す直接体験を通じて、自己と世界のことを理解していると考えます。
 観察主体と観察対象が一致の関係になったときのホロニカル体験は、観察主体と観察対象に二岐した途端、破れ、ホロニカル主体(理)を内在する観察主体によって、自己と世界は、重々無尽にわたる多層多次元からなる世界に変貌することになります。
 俯瞰とは、観察主体となる我の意識(内我及び外我の意識)が無となって観察主体と観察対象の関係が一となり、自己と世界の出あいが無境界となる時から、観察主体が内在する理(ホロニカル主体)による識別基準によって、観察対象となる自己及び世界を多層多次元なる世界として再構成する行為のことです。
②「自由無礙」
 「自由無礙とは、何ものにも束縛されず融通無礙の境位」にあることです。万物を多層多次元に識別する基準(ホロニカル主体:理)を脱統合して、すべての現象を無批判・無評価・無解釈の態度であるがままに総覧することです。ホロニカル心理学では、ホロニカル主体(理)を脱統合して、すべてをあるがままに総覧するものを「IT(それ)」と呼びます。
 「IT(それ)」の獲得は、対人援助に関わる人には大切になる態度であるが、ホロニカル主体(理)による判断をすべて停止したり・保留する作業は、相応の修行や訓練が必要になり、事例に対するスパービジョンや教育的自己分析が必要になります。
 「IT(それ)」から一切合切の現象をあるがままに総覧するとは、主観的立場(自己の立場)から世界を客観的に見るという意味ではありません。むしろ主観と客観の区別を取り払い、自己の立場から世界を見ることもあれば、逆に世界から自己を見ることもあれば、主観を忘れ主観と客観の区分を越えて自己も世界も一つになることを含む行為を意味します。
 観察主体がミクロに向かって極少の点となれば、観察対象は無限の球となります。その逆に、観察主体がマクロに向かって極大の球になれば、観察対象は無限の点になります。しかし、いずれの場合も観察主体と観察対象の一致の窮極においては同じ現象のことを意味することになります。観察主体と観察対象が一致する時の直接体験の世界が実在する世界ですが、観察主体と観察対象が不一致になったときの世界とは、厳密には、俯瞰する観察主体が直接体験の世界を再構成した世界と考えられます。
③「自由無礙の俯瞰」の深化
 「自由無礙の俯瞰」は、自己意識の発達に伴って、ホロニカル主体(理)の判断を停止したり、保留することが可能になればなるほど深化していきます。そして、最終的には、すべては、「IT(それ)」の働きによって統合され、「IT(それ)=真の自己」が実感・自覚されます。

2 「観察主体と観察対象」
①自己と世界の出あいを「直接体験」と概念化するとき、本来、純粋な直接体験そのものは、自己と世界の間に何ら境界なき主客合一の無境界の体験(ホロニカル体験)です。しかし、自己と世界の出あいに“ゆらぎ”が生じ、両者の関係が不一致となった瞬間に、直接体験は、直接体験を観察しようとするXという主体と、観察される観察対象Yに分断されてしまいます。
②観察主体となるXには、観察主体Xが内在化する出来事の識別基準であるホロニカル主体(理)による差異によってX1・X2・X3・X4・・・が識別されます。
③観察主体となるXの基本的態度には、自己意識の発達段階によって決まってる「苛烈な観察主体」→「支配的な観察主体」→「批判的観察主体」→「悲哀に満ちた観察主体」などの段階が考えられますが、最終段階の6段階では、絶対的主体である「IT(それ)」がすべてを内から外から包み込む態度に統合されます。
④観察主体Xには、個人の立場としての観察主体の意識レベル→家族の立場としての観察主体の意識レベル→ある所属団体の立場としての観察主体の意識レベル→・・・など、より包括的な立場に向かう意識レベルの段階があると考えます。
⑤観察対象Yには、観察主体が内在化する識別基準(ホロニカル主体:理)によって識別された多層多次元にわたるY1・Y2・Y3・Y4・・・があると考えます。
⑥自己と世界の一致の瞬間の「ホロニカル体験」時には、観察主体と観察対象の区別がなくなります。ただし、ホロニカル体験は事後的にしか実感・自覚できません。しかしホロニカル体験の感覚は、身体的自己に実感として記憶されていくため、適切な自己意識の発達の土台となり、自己と世界の不一致・一致の繰り返しの人生の中で、不一致による苦悩を、より一致に向けて、適切な自己の自己組織化する契機となります。
 ホロニカル体験があるからこそ、人生には、自己と世界が不一致を避けられないものの、一致することもあるということを実感・自覚することのできる観察主体を誰でも獲得できる可能性を持つと考えます。
⑦「自由無礙の俯瞰」とは、俯瞰する対象となる「観察主体と観察対象の関係」のあらゆる組み合わせに対して、無批判・無評価・無解釈からの俯瞰が可能になっていることを意味します。また、「自由無礙の俯瞰」は深化していきます。より多くの観察主体と観察対象の組み合わせ差異を統合的に実感・自覚できるようになるにつれて、俯瞰の深度や頻度が深化していきます。
⑧最終段階は、観察主体と観察対象の区別がなくなり、「IT(それ)」になります。「IT(それ)」の段階は、華厳思想の事事無礙の段階に相当すると思われます。

3「適切な観察主体」と「不適切な観察主体」
 A点とB点の行ったり・来たりを俯瞰できる観察主体C点のことを「適切な観察主体」、それに対して、観察主体と観察対象B点や、観察対象となるA点とB点の間の出来事を俯瞰できず観察主体がA点ばかりに執着している観察主体を「不適切な観察主体」と概念化しています。

4 共創的関係の構築
 支援者が、被支援者に生きづらさをもたらしている具体的問題を外在化し、被支援者と共有しながら俯瞰し、両者が共により生きやすい人生の道を共同研究的に協働する関係を構築することを「共創的関係の構築」と呼びます。共創的関係の構築は、安全で安心できる場での共創的俯瞰を可能とし、被支援者の適切な自己と世界の自己組織化を促進することを可能とします。
 共創的関係の構築による共創的俯瞰は、日常生活を離れた診察室、面接日室なかりではなく、多層多次元な問題が錯綜する日常生活の場にあっても可能です。安全で安心できる共創的支援の場を多職種・多機関にわたるソーシャルネットワークを構築するのも場づくり(器づくり)の例です。

5 自己意識の発達と観察主体の発達
①「ほどよい環境」さえ持続的に保障されれば、適切な自己意識の発達に伴って、自ずと観察主体は、「無」の段階から、すべてがホロニカル関係(縁起的包摂関係)にあることを実感・自覚することのできる、自由無礙の俯瞰を可能とした適切な観察主体に変容していきます。
②「ほどよい環境」の保障のためには、大きくわけて2つの条件が考えられます。
 一つ目の条件は、観察主体の発達段階が、第1段階から第5段階にある期間は、被支援者を、「我がこと」のように共感的に俯瞰する適切な観察主体をもった他者の存在が必要になります。二目の条件は、自己と他者を包む生活環境が安全で安心でき、自己と世界はいつでも一致可能であるとの基本的信頼感が獲得できる環境であることが条件になります。

多層多次元の問題解決への新たな視点:ホロニカル・アプローチ

多層多次元の問題解決への新たな視点
ホロニカル・アプローチ (2024.2.3)

★多層多次元にわたる問題が錯綜する人々に対する支援現場から、心理社会的支援に関する統合的アプローチとして、「ホロニカル・アプローチ」が創発され自発自展し続けている。

★ホロニカル・アプローチの特徴は次のとおり。
1 内的世界の変容が外的世界の変容をもたらし、外的世界の変容が内的世界の変容をもたらしている現実に注目し、内的世界と外的世界を共に扱うことを重視する。
2 内的世界と外的世界の構造化は、自己と世界の出あいの不一致・一致の直接体験をいかに意識化していくかという自己意識の発達と密接な関係にあると考える。
3 ほどよい自己と世界の出あいによる不一致・一致の繰り返しならば、自己と世界の出あいの一致の直接体験(ホロニカル体験)の度に、自己は「真の自己」を覚醒し、適切な自己意識を発達させることができると考える。
4 ミクロからマクロにわたる全フィールドにおける重々無尽の一切合切が、「部分が全体を包摂し、全体もまた部分を包摂しあうような相互包摂関係」を形成する限り、適切な自己と世界を自己組織化することができると考える。
5 「部分が全体を包摂し、全体もまた部分を包摂しあうような相互包摂関係のことを、ホロニカル・アプローチでは、「ホロニカル関係(縁起的包摂関係)」と概念化している。
6 自己意識(観察主体)が自己と世界の出あいの不一致に伴う生きづらさ(苦悩)ばかりに拘泥してしまうと、適切な自己と世界の自己組織化を阻害し、さまざまな症状を自己にもたらし、その累積は症状の重篤化をもたらすと考える。
7 重篤な生きづらさほど、多層多次元にわたって、ホロニカル関係の形成を阻害する悪循環するフラクタル構造を発見することができる。
8 自己と世界の関係の不一致・一致をめぐる関係は、観察主体と観察対象の関係をめぐる不一致・一致に変換することができる。
9 観察主体と観察対象(自己自身を含む森羅万象)の不一致・一致の繰り返しが、多層多次元にわたってホロニカル関係を自発自展的に形成していく限り、適切な自己を自己組織化できると考えることができる。しかし、観察主体が、観察主体と観察対象の不一致に伴う自己違和的体験に視野狭窄的になって拘泥しているときは、多層多次元にわたって、ホロニカル関係が形成できず、適切な自己意識の発達や、適切な自己の自己組織化を阻害してしまう。
10 しかし「9」の状態にあったとしても、観察主体と観察対象の組み合わせがいかなる時に、より一致度を高めていくかを、さらにあるがままに俯瞰できるような適切な観察主体が布置することさえできれば、ホロニカル関係による自発自展が再開し、適切な自己と世界の自己組織化を促進することができる。
11 適切な観察主体が布置を可能とするためには、自己と世界の出あいに伴う生きづらさに関する具体的テーマをいろいろな手段を使って外在化し、外在化された問題を共同研究的に協働する伴走者と共に、より生きやすい人生の道を発見・創造することを可能とするような適切な場を構築することが重要になる。
12 外在化された問題に関して、問題解決に向かって共創的に俯瞰していくことを可能とするような「親密な他者」が、できるだけ多い外的世界を構築することが重要である。

13 適切な自己の発達や適切な観察主体の発達を促進するような共創的俯瞰が働く場は、その場に生きるより多くの人々の適切な観察主体を育むという自己再帰的好循環をつくりだすことができる。

★内的世界から外的世界にわたる多層多次元な出来事の一切合切を、無批判・無評価・無解釈の態度で、固定的視点にとどまることなく、自由無礙に俯瞰することのできるような安全で安心できる共創的な場を構築することが重要です。こうした場は、適切な観察主体の布置を可能とし、適切な観察主体の布置体験の作用が自己内に取り込まれ、適切な自己と世界の自己組織化を促進していくとホロニカル・アプローチでは考えている。

★生きづらさを自由無礙に俯瞰することのできる適切な観察主体の布置は、より生きやすい人生を発見・創造することをもっとも迅速かつ確実に可能にすると考える。

★自由無礙の俯瞰を可能とする適切な観察主体の布置の重要性は、宗教・医学・哲学・心理学・芸術・・あらゆる領域に通底する。

★ホロニカル・アプローチに関係する基礎資料は次のとおりです。
1 「ホロニカル・アプローチにおける基本的な考え方」
2 「ABCモデル」
3 「ホロニカル・アプローチの見立てや方針決定のための基礎資料
4 「自己意識の発達」
5 「自由無礙の俯瞰に向かう観察主体」
6 俯瞰を可能する技法

ホロニカル・アプローチにおける基本的な考え方

ホロニカル・アプローチの基本的考え方 (2024.1.26,定森恭司)

1. 効果的な統合的アプローチの実践に裏付けられたさらなる理論化と技法の研究。
2. “こころ”の現象に対する既存の理論や技法の併用活用による混乱を避けるために、既存の理論や技法の差異を観察主体と観察対象の組み合わせの差異として俯瞰的に捉え直すことによって、統合的観点から柔軟に活用する道を探究する。
3. 治療モデルとは異なる支援モデルの探究(両者の併用は可能)。
4. 専門家中心になりがちな支援を転換し、支援者と被支援者が共同研究的協働関係を構築しながら、共により生きやすくなる人生の生き方を共創的に発見・創造する。
5. 観察主体と観察対象の組み合わせの微妙な差異だけでも変化する一瞬・一瞬を、無批判・無評価・無解釈の立場からあるがままに俯瞰することを重視する。
6. 内的世界か外的世界の差異を問わず、被支援者に生きづらさをもたらしている出来事を小物や非言語的手段を活用しながら、できるだけ可視化・外在化し、支援の場で支援者と被支援者が問題を共有できるようにする。
7. ホロニカル・アプローチの基本モデルであるABCモデルで示すように、自己と世界の出あいの不一致からもたらされる自己違和的体験(A点)と自己と世界の一致からもたらされるホロニカル体験(B点)の行ったり・来たりを、適切な観察主体(C点)から俯瞰することを重視する。
8. 俯瞰は、「共創的俯瞰」による。「共創的俯瞰」とは、支援者と被支援者が共同研究的協働関係を構築し、一緒にA点とB点の行ったり・来たりの人生を俯瞰していくことを指す。共創的俯瞰を体験した被支援者は、次第にさまざまな出来事をあるがままに俯瞰することを身につけていくことができるようになっていく。
9. 相談室・指導室・面接室・診察室での対応にこだわることなく、被支援者に生きづらさをもたらしている日常生活が、より生きやすくなるような場づくりを目指す。

観察主体の発達段階

観察主体の発達段階 (2024.1.24,定森恭司)

※この資料は、「ホロニカル・アプローチの見立てや方針決定のための基礎資料」「自己意識の発達」と合わせて理解すると、ホロニカル・アプローチ(以下HAと略)の見立てや方針決定の有効な手がかりとなります。

<第0段階の観察主体>
意識と存在のゼロポイントのこと。哲学用語で「絶対無」、仏教用語で「空」にあたります。自己意識の発達段階でも「第0段階」です。

<第1段階の観察主体>
 自己意識の発達が第1段階の自己にとって世界は、断片的な出来事だけの世界です。
 観察主体が育っていない乳児期早期や、何らかの疾患や障害をもっているため自律的な統合力が脆弱な人にとっては、自己と世界の出あいは、ただ断片的な不一致・一致の出来事の繰り返しにしか過ぎません。
 不一致・一致の直接体験を実感・自覚する観察主体がないということは、身体的自己にとっては、自己と世界の不一致に伴う地獄のような体感と、自己と世界の一致に伴う天国のような体感が非連続的に連続するだけと推定されます。
 通常、第1段階にある自己に対しては、重要な保護的存在(実際の保護者や支援の中心となる人など)が、適切な観察主体の代替の役割を担い、時々刻々と地獄と天国の間を揺れる状態を、慈愛に溢れた態度で俯瞰し、包み込むようにして、すべての出来事が同一の身体的自己の上で起きている現象であり、かつすべての出来事は基本的には安全で安心できる世界の出来事であることを体得できるように働きかけていくことで、被支援者の適切な観察主体を育もうとします。

<第2段階の観察主体>
 自己意識の発達が第2段階の自己内には、内外融合的主体が成立してきます。しかしながらが内外融合的主体は、直接体験を対象化する観察主体にまでは至っておらず、身体的自己は、自己と世界の不一致による自己違和的体験(A点)の地獄と、自己と世界のホロニカル体験(B点)の天国との間を行ったり・来たりするのみで、さらに地獄と天国が同一の身体的自己において起きている出来事として実感・自覚されていません。
 第2段階に対して重要な保護的存在となる人は、第1段階に引き続き適切な観察主体の代替の役割を担い、時々刻々、地獄と天国の間に揺れる状態を、慈悲に溢れた態度で俯瞰し、包み込むようにして、すべての出来事が同一の身体的自己の上で起きている現象であることを体得できるように働きかけていくことで、適切な観察主体を育もうとします。
 第2段階の時期の重要な保護的存在となる人の度重なる不在や、異なる保護的存在による一貫性の欠如は、被支援者の自己に対して、すべての出来事が同一の身体的自己において起きているという統合感の脆弱性や混乱をもたらす危険性があります。

<第3段階の観察主体>
 自己意識の発達が第3段階の自己には、重要な保護的存在となる人の適切な観察主体の代替の役割を、自己内に映し、そして取り込む作業を通じて、内外融合的外的現実主体が観察主体となって結実してきます。
 内外融合的外的現実主体は、A点とB点を実感・自覚しはじめますが、しかしながらA点とB点の間のつながりは自覚することがまだできません。その結果、A点とB点は、お互いに分裂・排除的な関係にあります。
 第3段階の観察主体は、自己と非自己化された世界の境界が曖昧のため、内的世界と外的世界の境界自体も融合的な状態です。そのため被支援者がA点の時には、A点を引き起す要因は、すべて外界の観察対象からの迫害によると理解されます。逆に被支援者がB点の時は、すべてが自己内の要因によると理解されるため、自己は誇大的万能的な気分になります。
 被支援者が、第3段階にある自己に対して、重要な保護的存在の立場となる人は、被支援者がB点の時には、あたかも迫害対象のように扱われ、誇大的万能的な自己を傷つけたという感覚による憤怒をぶつけられるため、あたかも憤怒の排泄受容器となっての浄化機能のような役割を担わされることになります。こうした難しい状態に直面しても、重要な要保護者となる人が、誇大的万能的自己愛憤怒を、ほどよい態度で俯瞰し、包み込み、すべてが同一の身体的自己の上で起きている現象であり、すべての出来事は基本的に安全で安心できる世界の出来事であることを体得できるようにと働きかけていくことで、適切な観察主体を育もうとします。
 この時期、重要な保護的存在の立場にある人の中には、B点に伴う被支援者の憤怒の適切な排出受容器になれず、思わず、やり返してしまう人がいます。しかし、そうしたことが続くと、被支援者の外的対象に対する迫害感を確信レベルにまで高めてしまう危険性があります。逆に、重要な保護的存在の立場にある人が、被支援者のA点をあまりに賞賛し支持すると、被支援者は常に他者に賞賛され支持されないと自信を持てなくなってしまいます。
 心理相談(心理療法を含む)では、適切な観察主体を育むまでに根気と時間を必要とします。特にこれまでの心理療法は、第5段階での「臨床の智慧」や「実践の智慧」を元に第3段階に対応しようとして苦労してきた傾向がありますが、「適切な観察主体」を育むことに支援者の態度を積極的に変えていくことで、これまで以上に第3段階での適切な自己の自己組織化を促進することが可能になります。

<第4段階の観察主体>
 自己意識の発達が第4段階の自己には、重要な保護的存在となる人の役割を被支援者の自己に映し、取り込むことによって結実してきた他律的外的現実主体が、A点とB点の行ったり・来たりを自ら実感・自覚するようになってきます。
 他律的外的現実主体には、重要な保護的存在となる人の内在化していたホロニカル主体(理)の影響及び、それ以外に学習してきた規範、価値観、信念、常識の影響化によって取り込まれてきた被支援者独自のホロニカル主体(理)が内在化されています。その結果、重要な保護的存在となる人は、自ら既知のホロニカル主体(理)によって判断するようになってきた被支援者の成長を歓び支持しながらも、一方では、価値観の対立の違いからの反発を受けたり、被支援者と支援者が対立をしはじめたりします。こうした体験を通じて、重要な保護的存在となる人は、基本的な観察主体の代替の限界と役割の終焉を意識しはじめます。こうしたプロセスは、自ずと被支援者の支援者からの心理社会的自立を意味します。
 心理相談では、この段階の被支援者に対しては、支持的対応やカウンセリング・マインド型の傾聴でもって被支援者(クライエント)は、適切な自己の自己組織化が可能になります。

<第5段階の観察主体>
 自己意識の発達が第5段階の自己は、自律的外的現実主体が、俯瞰する適切な観察主体の役割を担うようになり、人生がA点とB点の行ったり・来たりを避けることができないことの実感・自覚を深めるようになります。
 また観察主体は、基本的には既知のホロニカル主体(理)を内在化していた他律的外的現実主体から、自らが新しいホロニカル主体(理)を創発する自律的外的現実主体に変容していきます。
 この時期、第4段階まで重要な保護的存在の役割を担っていた人は、第5段階では、被支援者自身による新しいホロニカル主体(理)の発見・創造の伴走型のサポート役に立場が変化してきます。
 心理相談では、心理相談の色合いはなくなり、「真の自己」に向かっての自己の自己組織化の促進化のサポート役になります。

<第6段階の観察主体>
 被支援者の観察主体が、すべてがホロニカル関係にあり、かつ本来、絶対無(空)からの創造された無自性の現象世界であることを実感・自覚するようになります。
 この段階の観察主体は、自由無礙の俯瞰の絶対的主体である「IT(それ)」に統合された段階(真の自己の段階)にあります。

付表 自由無礙の俯瞰に向う観察主体

一瞬・一瞬

ホロニカル心理学では、「一瞬・一瞬」を重視します。一瞬とは、「今・このとき」です。「過去を含み未来が開けてくる今・この瞬間」のことです。「一瞬・一瞬」に一切合切が生成生滅を繰り返しています。しかも一瞬・一瞬において、すべての部分がそれぞれ他のすべての一瞬を映し取り、すべてを包摂しながら互いに独立しながら、縁起的につながあっています。こうした「一瞬・一瞬」との触れあいが私たちに生々とした実感をもたらしてくれます。

時計の刻む「時」は考え出された「時」です。ホロニカル心理学が重視する「一瞬・一瞬」とは異なります。曹洞宗の開祖道元のいう「有時の而今(にこん)」や、イスラム神秘主義のイブン・アラビーのいう「創造不断」の「時」の捉え方に相当します。

絶対無(空)=“こころ”

ホロニカル心理学では、“こころ”とは、生死の世界など、一切合切の現象世界を創りだし、それを包む場(フィールド)のようなものと考えています。そして、一切合切を創りだし、一切合切を包む究極の場とは、東洋思想の影響を受けて絶対無(空)と考えています。“こころ”=場=絶対無(空)です。

絶対無(空)という場が、物理現象と精神現象からなる現象世界を創りだしていると考えられるのです。その結果、“こころ”は、物理現象と精神現象という双面性をもった現象といえます。

ホロニカル心理学では、西洋からきた個人における精神現象を「心」とする心理学と、東洋思想の「心」の捉え方を統合し、“こころ”の働きを個人内の現象と狭く捉えず、もっと超個的な働きもあるものとして捉え直しています。

主な技法

「ホロニカル・セラピーとは」の「ホロニカル・セラピーのさまざまなアプローチ(技法)」を参照ください。

小物による外在化
場面再現法
対話法
心的イメージの増幅・拡充法
能動的想像法
ただ観察
エンパワ-メント法
サイコモデル図法
超俯瞰法
スケール化法
無意識的行為の意識化法
ホームシミュレーション法
スポット法
三点法