観測とは無関係に自然の事物が「在る」と考える立場を「実在論」といいます。近代科学のパラダイムの影響下にある科学者や多くの一般人は素朴な常識としてその立場をとっていると考えられます。
しかしながら、原子の中で運動している電子や究極のミクロサイズの研究をする量子力学の正統的解釈では、私たちの常識では捉え切れない考え方が示されています。もっとも有名なものは、一つの粒子が“粒”でありながら“波動”としても振る舞うという「粒子・波動の二重性」と呼ばれる性質です。量子論では、電子や光子などは、観測しなければ波動として広がっており、観測した瞬間に1カ所に収束した粒子として観察されるというのです。しかも粒子の位置は確率論的にしか計算で予測できないというのです。
光の粒子と波動の二重性を認めたものの科学の決定論を信じるアインシュタインは、死ぬまで確率論的な曖昧な自然理解には、何か隠れや変数があるはずだと反対し続けたことはよく知られています。アインシュタインは、「神は無限であり」「自然即神」と考える「スピノザの神」を信じていたようです。自然を神と考えるアインシュタインにとっては、観察とは無関係に自然の事物が「実在」するという「実在論」の立場にあり、観察する度に世界の出来事があるなどという量子論は到底受け入れることができなかったと言われています。しかしながら量子論的な見方からすると、すべては観察した時には決定され、誰も観察していない時にはすべては決まっておらず、この世界に客観的事実として実在するということが言えなくなると語るのです。
ホロニカル心理学では、こうした量子論的なパラダイムをそのまま当てはめることはできません。ただ、感じた時に“こころ”の働きを実感・自覚するとするホロニカル心理学のパラダイムが、量子論の原理とあまりに相似的であることには注目すべき相似性があることには正直驚きを禁じ得ません。