
父性原理は、社会的規範をロゴスとして伝える働きをもち、切断の原理、自他を明確にわける機能をもつ。これに対して母性原理は、バラバラのものを包み込むエロスの原理である。といった語り方をする時、そこにはすでにステレオタイプな父親や母親の役割認識が無意識のうちに投影されている可能性があります。ひょっとすると、こうした2分的思考そのものが、家父長的な男性社会の無意識的規範の投影の可能性すらあります。もっと厳密に記述するならば、これまでの社会は、切断の原理や自他を明確にわけるロゴス原理を父親に付与し、包み込むエロス原理を母親に投影してきた社会であったと記述した方が適切かも知れません。
親が子どもに対して、ロゴスとエロスという相矛盾する態度を取ってきたことは事実でしょう。しかし、ロゴスを父親に、エロスを母親の役割とステレオタイプに付与してきた流れが変化し、父親であろうが母親であろうが、そのいずれもがロゴス・エロスを含んで子どもに対応してもいいのでないかという文化が芽生えつつあります。
ロゴス・エロスは陰陽的関係で不可分一体といえます。ロゴスによる切断原理とエロスによる一体化の原理が相矛盾しながら一体となって、子どもの養育にとって大きな影響を与えることは、今後も続く普遍的なテーマといえるでしょう。
しかしながら、子どもを外からの侵襲から守るのは父親で、家を内で守るのは母親という図式は、すでに古い文化となり。今後は必要に応じて見直していく必要があるといえます。
子どもにとっては、内にあって守る力と外からのを守る力が必要なのであって、両親のいずれがどのようにそれを果たすかは、それぞれの両親によって決定されればよい時代に入ったと思われます。