死とは

創造的世界から生まれた自己にとって、自己の死とは、我(現実主体)や身体的自己が無となるものの、すべてがこの世界からなくなるということではなく、むしろ創造的世界そのものになることといえます。私たちを含む世界の一切合切は、一切合切の生成消滅を司っている哲学でいう「絶対無」、東洋思想でいう「無(:くう)」から生成され、そこに死滅すると考えられるからです。

「絶対無」「空」と呼ぶ働きが、いっときも同じ出来事などない創造不断の無常世界のすべての源と考えられるのです。そこから物理現象や精神現象を含む一切合切の現象が創造されてくると考えられるのです。

私たちは、一瞬・一瞬、生成消滅のせめぎ合いの中で、他のすべてとの縁起的な無限の重々無尽の関係を持ちながら生かされているといえるのです。

このことは、私たちは私たちの意思を超えた絶対無の意志の働きによって生かされていることを意味します。

こうした生かされているという感覚は、人類を歴史的に遡れば遡るほど強かったと思われます。しかし、自然を操作する科学力を獲得しだした現代人は、あたかも自分の力で生きていると錯覚しだし、誇大的万能感になってしまったといえそうです。

ホロニカル心理学では、「絶対無」「空」のような働きをもったものを“こころ”と考えています。

一切合切は、“こころ”から生まれ、“こころ”に還ると考えられるのです。