子ども虐待(1):修羅場化する児童福祉現場の最前線

虐待防止法制定後の児童相談所の実践現場は、ますます修羅場化してます。しかも、最前線では、「親を指導せず、子どもを保護しない児童相談所の対応が悪い」と、自らは、子どもにも親にも、何も直接的に働きかけることなく、ただ声高に傍観者や評論家のような主張を繰り返し、児童相談所の対応に丸投げする人の増加が際立ってきています。しかも深刻な出来事としては、児童相談所と地域社会の児童福祉に対する感覚の差異の乖離がますます拡大していっていることです。

事実上「排除の論理」を持つ「声高の人」は、一見、子どものことを思っているように見えるだけに、周囲に甚大な影響に与えています。しかし、みなさん、しっかりと「声高の人」に聞き直してください。「親子を引き離し、子どもを保護すれば、問題は解決するのですか」「親子を引き離した後は、どのようにすればいいと考えて見えるのすか」「一時保護所に保護された児童の90%以上は家庭に戻ることをご存知ですか」「一生、親子を引き離す方がいいと思われますか」「また、何かこの分離後の子どもや親との関係修復のためにご協力いただけますか」と、こうしたテーマを、もう一歩深めるだけで、随分、異なる展開が創発されるのです。どうか声高の人に向かって、しずかに、しかし真剣に、聞いてみてください。

児童虐待の問題は複雑です。簡単に原因を特定できるものではなく、多層多次元にわたる一切合切の問題が複雑に絡み合っています。その中でも、児童虐待を引き起こすほど追いつめられ密室化した家庭を、地域社会がさらに排除しようとすればするほど、問題はさらに増悪化するという社会的事実への対応が迫られだしているのです。地域社会が脆弱な家庭を適切に包摂する力を失い、かつ親以外の地域社会の人たちが、かつてのような「子やり文化」を喪失し、無縁化・孤立化の加速による地域コミュニティと解体が、児童虐待の温床になってきているといえるのです。児童虐待の問題は、人と人、人と社会、家庭と社会の関係をめぐる根幹を問うテーマといえるのです。

長年、このテーマに取り組んできた者が考えることは、いたってシンプルです。「ひとりの追い詰められた子どもと、追い詰めてしまう大人を救い出せる社会が、健全な社会と思われる」ということです。