“量子の振る舞い”と“こころ”

量子は、古典物理学が考えていたような粒や球のようなものではないと現代の量子物理学は語ります。そして量子の振る舞いは波動関数に代表されるように数学的に記述されます。波動といっても水や音のように物質波として測定できないものの、量子の基本的な振る舞いは数学的に厳密に記述可能で、しかも諸現象の発生の確率を予言することができるそうです。高度な数学や物理学の理解はとても私には困難ですが、量子論の話は、あたかも“こころ”の振る舞いの話を聞いているかのような気持ちになるのは、きっと私だけではないでしょう。

よくよく考えれば、数学や物理学によって語られる量子論の仮説も、私たち人間の意識から創り出されています。ということは、数学や物理学と“こころ”を研究対象とする心理学は、元々近縁関係にある学問同士なのかも知れません。

世界がどのような根源的なものによって出来ているかと問い続けた時、物質的な現象を究めていこうとすると数学・物理学になり、非物質的な現象を究めていこうとすると哲学・心理学になるのではないでしょうか。もしそうならば、両者の智慧がとても相似的になるのは、当たり前といえます。量子の振る舞いを数学や物理学的に表記できる人は、世界でもごく限られた優れた頭脳の持ち主に限られますが、量子の振る舞いは、いつも誰でもどこにいても実はいつでも体験している世界でもある筈です。私たちは日頃、粗大レベルの出来事だけがあたかも世界の出来事であるかのように思い込んでいますが、むしろいつもどこでも微細な量子の振る舞いに私たちは触れている筈なのです。いやそれどころか、何よりも私たち自身が量子の振る舞いによって生きている筈です。私たちはいつも量子の波動の無限のハーモニーの織りなす世界に、何かを感じたり予感しながら生きている筈です。

しかし量子の振る舞いは、可視化できず、測定することもできず、手に取ることもできません。数式の意味を感得するしかない世界です。しかし、「それって、“こころ”の世界の話とまったく同じではない?」という素朴な疑問が成り立ちます。

ホロニカル心理学のいう“こころ”とは、ひょっとすると「量子の振る舞い」といえるかも知れません。