手の出ない人

ちょっとした食べ物や飲み物が目の前に差し出されたとき、相手に勧められても、自らは手が出ない人がいます。しかも、相手に「どうぞ」と勧められても手が出ず、食べることを勧めた人が食べ始めたのを見てから、初めて食べだす人たちです。遠慮しているのでなく、まさに手が出ないのです。

実は、こうした態度をとる人たちの中には、乳幼児期から苛酷で不適切な養育環境に育てられた人がいます。手を伸ばすという動作は、首が据わって座位がとれるようになって両手がフリーになってきた生後4~5ヶ月頃の乳児から見られはじめる動作です。しかし、こうしたごく自然な動作が、内発的動作としてすぐには出てこないのです。

こうした人は、相手の許可なく自らの内発的動機によって動くと罰を受けることを身体の記憶として覚えており、条件反射的に手が出なくなってしまっているのです。身体が過緊張状態になって麻痺しているのです。少しでも内発的な興味・関心を持つことは、不安や恐怖と結びついてしまっているのです。

しかしこの事実が実感・自覚できたとき、変化が起きはじめます。主体的に動こうとするとき、確かに不安・恐怖が付随しますが、しかし今・現在の身体が安全で安心を体感している限り、不安や恐怖を引き起こして緊張しているのは過去の身体のトラウマの記憶によるものであることを自ら実感・自覚することができだした頃からの変化です。変化のはじまりは自ら身をふるわせて過緊張をふるい落とし、主体的な身体の動きをとり戻すときからはじまります。最初の変化は、微細でかつ繊細な変化です。が、しかし「今・ここ」におけるごく自然に流れてくる身体感覚を自らのものにし、身体感覚の欲する方向に向かって身体を動かし出すことができる頃から、長年の身体の石化現象から身体の解放がはじまるのです。支援者の役割は、その微かな変化を支え、流れにそって増幅・拡充することです。するとあたかもピノキオが糸が切れて、自らの意志で動きだすときがやがてやってきます。“こころ”の中の声なき声に従い、身体の自然のリズムに従い、動き出しはじめるのです。そこから、新しい人生が始まりだすのです。