支援者が多層多次元に立顕れてくる被支援者の“こころ”の現象に対して、今どんな観察主体から、どんな観察対象に対して、どのように扱おうとし、その結果が被支援者の観察主体と観察対象の関係の変容にいかなる影響を与えているかについて、自由無碍の俯瞰の視点から一貫して対応することができる限り、様々な“こころ”に関係する理論や技法を統合的に扱うことが可能になります。
しかし、自由無碍な俯瞰という視点がなく、各理論と技法を折衷的に扱おうとすると、“こころ”に関する捉え方の差異は、宗教の差異にも匹敵する混乱に巻き込まれ、支援者も被支援者も一種の心的危機に陥ることすらあります。
“こころ”の捉え方の差異は、差異を統一的に自覚しながら扱わない限り、同じ室内ゲームをしているつもりでも、チェス、将棋、カロム、チェッカーといったほどの違いがあり、支援者も被支援者も一体今どのようなルールで何にどのように取り組んでいるのか混乱の極みに陥ることになるのです。
しかし支援者自身が、多層多次元にわたる“こころ”の現象そのものが、実は観察主体と観察対象の組み合わせの差異によるものであることを実感・自覚しながら、自由無礙に俯瞰する視点をもって被支援者の“こころ”の現象を統一的統合的立場から扱うことができる限り、被支援者もまた“こころ”の現象を統一的統合的に扱うことが可能になります。