子ども虐待の対応において、緊急一時保護の必要性から子どもを一時保護所に児童相談所が保護した後に、社会養護(里親や児童福祉施設等に措置)するが、再び在宅に戻すことを判断することに迫られたとき、厚生労働省の方針や児童福祉法の改正案にしたがって、子どもの意思を尊重しようとして、「家に帰りたいかどうか」と意志確認することが増えてきました。しかし、関係者は、とてもこのまませずに家に子どもを帰すことは危険だと強く思っていても、子ども自身が「帰りたい」というし、その保護者も「早く子どもを返せ」と強く迫り、その判断が混乱することが現場の実態です。
しかしここで注意しなければならないことがあります。そもそも体罰・威嚇・威圧・否定などのパワーを使って支配されたきた子どもが.果たして誰かに自分の意志を尋ねられたしても自分の意志を自ら語れるかという問題です。
現実は、乳幼児期から苛酷な環境に育った子どもほど、自分自身の欲動や欲求や要求すらもったことはないし、ましてや複雑な内的世界の気持ちの自己表現すらできません。むしろその場その場の相手の顔色をみて、その人に誘導されるように応答することがほとんどです。しかもAさんの前では「帰りたい」といった子どもは、別の場所の別のBさんの前では「(帰ると思うだけで)怖い」と語ります。言葉で「怖い」ということすら身体が固まる子どもは言葉がでず、ただ固まってしまうことすらあります。場所と人が異なると、家に帰りたいかそうでないかだけでも言うことがてんでバラバラになるのです。状況依存的にその場その場をただ生き延びるためにその瞬間に思ったことを口にするだけのことが多いのです。帰りたいとの気持ちはないわけではない、でも怖いという気持ちもある。もし帰りたくないといったら親がもうおまえなんか知らん、勝手に施設でもいけと言われるかも知れない(見捨てられ不安)という恐れを強烈に引き越すこともあります。
子どもが複雑に揺れる気持ちを整理し、一時保護後の保護者の言動の変化を体験しながら自分の意志を自己決定していくためには、それ相当の時間と自分の複雑な気持ちを自分のものとし、その中から最もベストな選択ができるように根気強い伴走型の支援が必要になるのです。
こうした現実を無視して、ただ単に語った気持ちのほんの一部でもって、「あの子の本心は帰りたいのだ」「あの子は帰りたがっていない」などと、あたかも子どもの本当の気持ちがわかったように思ってしまう周囲の大人こそ、最も子どもを混乱させると言えます。
「本心」「本当の気持ち」は、「その時は、そう思った」という感じで受け取り、まずはパワーゲームによる養育環境を、もっと安全で安心できる生活環境を保障する中で、より長いスパンでその子どもが自分の意志を語れるようになるまでの人生を一緒に創り上げていく姿勢の方が大切になるのです。