ホロニカル・アプローチの超俯瞰法を用いたうつ病と診断されたクライエント(創作事例)

超俯瞰法の実施場面

隔週で行われる個別面接の一場面です。

うつ病と診断され主治医から紹介された団体役員のDさん(40代男性)に対して超俯瞰法を活用した事例です。Dさんの発言は「 」で、カウンセラーの発言は< >で示されています。

D:「ここ1~2週間、頭がすっきりしない。肩こりや頭痛もある。自分に対する不満が、心を引っ張り、行動できない。これではいけないから何か考えなくちゃと思っている。自分で自分を認められないので、自分で自分を認めようと思っている」と、ビシッと決めたオーダーメイドのスーツ姿に不釣り合いな感じで、がっくりと肩を落として力なく語り出します。
Co:<(要約反射後)、ところで、自分で自分を認めるしかないと身体(からだ)のどこで感じているようですか>
D:「えっ、そう言われると頭ですね。頭でそう感じているけど、行動ができていない」

Co:<では、行動ができていないと身体のどこで感じていますか>
D:笑い出しながら、「全部頭ですね。頭だけで生きている。ここから(首を指しながら)上だけって感じですね」

Co:<では、頭以外の身体は何を感じているようですか>
D:「疲れていますね。身体を鍛えなくちゃと思うけど、身体は疲れていますね」
Co:<頭では身体を鍛えなくちゃと思っているけど、では、それに対して身体はどんな感じのようですか>
D:「だるい。だけど頭は怠けていてはだめだと、もっと身体を鍛えろという。そうしないと頭が納得しない。頭は鍛えたがっている。でも、身体は活動したがらず、楽になろうとする」
Co:<もっと鍛えろという頭に迫られると、身体はどんな感じになっていくようですか>
D:「足や腰は、じっとしたがっている。足を重く感じる」(※Dさんは、ここにいたって、はじめて(外我による)思考を止めて、身体の感じを(内我によって)そのまま感じとり、その感覚を語りはじめます)

Co:<足の重さを、じっとただ何もせず、ただ感じ続けてください。そして、その重さを何か物やイメージに喩えたりするとどんな感じなのかわかってきたら教えてください>(この働きかけは、Dさんの外我の働きを弱め、内我による身体感覚の直覚の増幅・拡充を図り、外我にコントロールされていた内我の強化につながっていきます)

D:「足腰が弱いというイメージで・・・」と言いかけて、「やはりこれも頭だけで感じているみたいですね」(と、外我による観察を再度止めて)、「どんどん沈んでいきます。じっとしていたいという感じです」と答えます。
Co:<じっとしていたいと感じているときの今は頭はどんな感じですか>(内我による身体感覚への集中の瞬間における外我(思考)の働きの感触をDさんに求めます)
D:「今はなんとも。でも、さっきまで、ぐるぐるしていた。パニックになると頭だけになる。すると眠気がくる。倦怠感やだるさがくる。昨日は朝起きた時頭痛がひどくて、昼間から仕事をやめて映画を見に行った。どっちにいったらいいかわからないんです」と、再び、朝方の外我優位時の頭がぐるぐるした時のことを想起して苦渋の顔になります。

Co:<頭だけが優位になって、とにかく身体を鍛えなくちゃという考えばかりがぐるぐるし、その一方では、身体の方は、どんどん沈んで重くなっていき、じっとしていたいという感じになっていく感じなのですね>(と今のDさんの置かれている悪循環パターンを、無批判・無評価・無解釈の俯瞰的態度で照らし返します)

D:笑いながら、「そう言われると、なんかかえって、すっきりしますね」「でも、もうひとつの自分が教訓めいた感じで目の前のことをやれと」(もう一つの教訓めいた自分が外我に相当し、内我は身体がじっとしていたい身体を直覚していると言い換えることができます)

Coは、超俯瞰法の準備を始めます。

<頭では鍛えろと考えながらも身体の方は、どんどん沈んでいく感じで、じっとしていたいという感じでいる>Dさんを、小物のオカリナ外在化し、面接時のDさんが今のDさん自身を俯瞰できる場を作りだします。

超俯瞰法の実施が始まります。
Co:<さて、地上にいる今のあなた(オカリナ)を、なんでもお見通しで、なんでもできる超能力をもった神さまや仏さまや鳥が見たとしたら、どのように感じるでしょうね>と尋ねます。
D:「こっけいですね」「哀れでもあるかな」と自己卑下的に評価します。(※無批判・無評価・無解釈の俯瞰的態度で照らし返ししたCoに、「すっきりした」と応答したタイミングでの超俯瞰の実施だったので、Dさん自身からもっと包み込むような言動をCoは期待していましたが、教訓めいたDさんの外我が布置してしまいます)

そこでCoがDさんに、神さま・仏さま・鳥のイメージの小物による外在化を求めると、小物の「鳥」をDさんは選択します。Coは、その外在化された「鳥」をDさんの前に置いて、次のように働きかけます。

Co:<では、なんでもお見通しで、なんでもできる超能力をもった鳥が、この自分(オカリナ)に向かって何かしてあげることができるとするとしたら、どうしてあげますか>と尋ねます(超俯瞰を実施するときの定型の働きかけです)。

D:「仏さまや神さまにはなれないですね。『それでいい』と言うと、今以上に何もしなくなりそう。だから、これまでに刷り込まれた『べき論』しかでてこないですね」と、Dさんは、やはり、超俯瞰法の無批判・無評価・無解釈のポジションに立てません。教訓めいたべき論が出てくる外我が、鳥と一体化してしまいます。

そこでCoは、鳥(俯瞰する立場)とオカリナ(苦悩するC)の関係を対話法によってもっと明らかにしていきます。以下、鳥→「鳥」、地上のDさんをオカリナの「オ」とします。

Co:<どんな『べき論』ですか>
鳥:「そんな横着をせず、もっとやる気をだして頑張りなさい」と答えます。
Co:<そう言われた。この自分(オカリナ)はどうなりますか>と尋ねます。
オ:(「クシュンとなりますね。頑張れないから」)。と力なく答えます。

Coは、「べき論」を否定せず、オカリナ(苦悩する自分自身)を支えるための鳥のべき論
の必要を感じます。そこで、次のように働きかけます。
Co:<では、もっと、どういう他のべき論的言い方があると、クシュンとしないか考えてみてください>と尋ねます。Dさんは、沈思黙考しはじめます。最初は、鳥がDさん側、オカリナがCoに置かれます。

鳥:「今は必要最低限のことをやればいい」と、これまでの批判的態度に代わり新しい提案をしはじめます。

Coは、<「今は必要最低限のことをやればいい」と言わたオカリナは、どんな感じになりますか>と鳥とオカリナの位置を入れ換えまながらいいます。すると、自分で新しいべき論を言い出しておきながら、自ら驚くようにして、

オ:「えっ」と、俯瞰する鳥の立場にたったDさん自身の提案にDさん自身が驚きを隠せません。再びオカリナと鳥の位置を入れ換えます。するとオカリナの変化を実感した鳥は、オカリナに再び語りかけます。

鳥:「そうしているうちにやる気が出てくるのでは・・。今はただ目の前のことを最低限やることに対して踏ん張るしかない。それに耐えた時、はじめて忍耐したと実感できるのでは、だから今は、最低限度のことをやるしかないのでは」とやさしい声色でオカリナの自分自身に語りかけます。

鳥とオカリナを入れ換えます。

オ:(「うなずきました」)

超俯瞰法が終了すると、「面白いですね。このやり方・・。自分を少し離れてみていることが大切ですね」と笑いながら、再び、すっきり顔になります。Coに無批判・無評価・無解釈の立場の照らし返しに「すっきり」顔となりましたが、今度は、自分で自分自身を支えての「すっきり顔」といえました。

 

※超俯瞰法を実施したとき、超俯瞰のポジションに、「無批判・無評価・無解釈」の立場が自然に布置する場合と、Dさんのように、日頃の観察主体の態度が明確に顕在化する場合があります。しかし、自分自身を支えるような「べき論」を求めたのを契機に、Dさんは、ホロニカル心理学でいう自己意識の発達段階が、第4段階から第5段階に移行することが可能になります。第4段階のDさんには、父親や自己啓発セミナーなどの影響を強く受け、根性論的なべき論(もはやDさんにとっては不適切となっていた既知のホロニカル主体)を取り込んだ他律的外的現実主体(外我)が優勢でした。そのためDさんの観察主体には外我が強く、しかも身体の疲労を感じている内的現実主体(内我)に対して批判的でした。しかし、今回のセッションを契機に、外我と内我の対等の対話が可能になりだすとともに、外我が、自らが新しいホロニカル主体(理)を創発しだす自律的外的現実主体(第5段階)に変化しはじめていくことが可能になりました。