鳳凰の夢(ノンフィクションフィクション)

AIで作成

事例は、いろいろな事例を組み合わせて創作されているノンフィクションフィクションです。

<楓子さんのある夢>
ある民家の軒先にぶら下げられた鳥かごの中の小鳥は、十分な餌や水を与えられず衰弱しきっていた。それを見つけた私は、自分の今の状況を鳥に投影するようにして、飼い主に無断で鳥かごごと持ち去ってしまう。しかし、自宅のアパートに持ち帰った私は、罪悪感と罪悪感を否定する気持ちとの間で激しく揺れ動いてしまう。しかし、そんな私の迷いに関係なく、目の前の小鳥は、生死をさまよっている。そこで飼い主のことはあまり考えず、餌と水を与えることに専念することにした。

数日後、十分な栄養を得た鳥は自由世界に飛翔しようとする。しかし私は、ここで鳥を開放することに対して、二度とこの小鳥とあえなくなるであろう飼い主のことを考えると躊躇する気持ちになる。ふと、気づくと、いつのまにか鳥かごから脱出して小鳥が私の右肩口に止まっている感触がある。

<夢をめぐって>
夢を語る楓子さんは、30歳代半ばです。楓子さんは、日常生活において70歳すぎの母親や会社の上司に日頃からとても強い束縛感を感じ、生きづらさを感じていました。夢は、そうした気持ちも深く影響していると楓子さんは感じたようです。夢の中の楓子さんは、鳥の飼い主を動物虐待をしている人と決め込んでいるそうです。夢の中の自分はそのように確信しているので、飼い主に無断で瀕死状態にある鳥を救済するために、ひとり暮らしのアパートに持ち帰ってしまっているとのことでした。しかし、夢の中の楓子さんは、鳥を自分のものにした途端、本当にそれでよかったのか、ひょっとして思い違いではないのか・・・いや、あのままほっておけば間違いなく鳥は死んでしまっていた。だから間違ったことはしていないと思ったり、時々刻々気持ちは大きく揺れ、万能的誇大的な高揚感と、その気分が一気に反転しての、強烈な罪悪感が湧き上がってきます。しかもこの夢を語るときの楓子さんは、まさに夢の中の楓子さんと同一化しているかのような揺れ動きを見せました。

映画監督法
夢の中でも、面接の中でも、苦悩する楓子さんに対してカウンセラーは、映画監督法を使っての夢の続きの能動的想像法を提案し、楓子さんも了解します。

楓子さんは、しばらく新しいイメージが湧きあがるのを自ら待ちますが、なかなか夢の続きのシナリオが浮かんで来ません。そこでカウンセラーが、想像の活性化を図るため、いろいろなシナリオを例示します。<後日談としては、飼い主の家族は、鳥のことをすっかり忘れ、長旅に出ていたことが判明して、必死に探していることがわかったとか、・・><どうしても気になって警察に届けに行ったら、警察が飼い主の家に家庭訪問したら、異臭が漂い、飼い主は、すでに死後1週間ほど経過していることがわかり、警察署からは、そのまま鳥を飼うことを依頼されることになる>など、いろいろ提案します。するとしばらくして、何やら楓子さんの井筒俊彦のいう表層意識と深層意識の中間領域の「想像的イマージュ」が活性化しだしたかのようにして次のように語りだします。

<夢の続き>
私(夢の中の私)の肩口に止まっている感触のある小鳥を、ふと見ると、いつのまにか一回り大きくなっているばかりか、鮮やかな色彩を放つ、とても凜とした見事な鳳凰になっています。そして、気が乱れた瞬間、突然、あたかも天の呼び声に誘われるようにして、鳳凰は、元の飼い主のところに飛んでいきます。

元の飼い主は、寝たきり状態で、すでに死期が迫る極限状態にありました。老婆は、長年にわたり夫や子どもたちを自分の思いばかりで束縛してしまった結果、夫とは30年以上前に離別し、子どもたちも、すでに老婆の元には20年以上顔を見せることはない状態にありました。老婆は孤独死の迫る身を自覚していましたが、死期が迫れば迫るほど、懺悔の日々を過ごしていました。そして、もっとも罪悪感を抱いていたのは、ここ7年余、餌と水だけは欠かさなかった小鳥の行く末でした。もう寝たきりになり、動くこともできなくなった身としては小鳥のことが気になって仕方がない状態にあったのでした。

いよいよ意識も混濁しかけた時です、老婆は、窓越しに飛翔してきた鳥が、間違いなくこれまで飼っていた小鳥だとすぐに確信しました。小鳥が、自由になって最後の別れを告げにきてくれたことに安堵した瞬間、老婆は永遠の眠りにつきました。

<その後の楓子さん>
現実生活では、あいかわらず母親や会社の上司は、楓子さんの自由を束縛するような言動を繰り返し続けています。しかし、何故か、楓子さんは、「母親や上司のいうことに対して、どうするかは、私が決めることにしました」と笑うようになります。楓子さんの中に鳳凰がいるかのようでした。