
何かを意識することは、何かを観察する行為と考えられます。観察行為は、たとえ機械を使ったとしても、観察対象が存在することに変わりはありません。そして、あらゆる観察行為は観察結果に影響を及ぼすことは否定できません。また、観察する行為の前には、観察対象がどのように振る舞っていたのかを感じることも知ることもできないといえます。量子力学では、観察行為と観察対象の関係において不確定性原理が成り立つことが知られていますが、”こころ”の現象に関しても同じことが言えます。
観察するとは、何かを意識することです。何かを意識するとは、何かを識別・分別することです。それは、世界から何かを切り取り、それを対象化することに他なりません。
「私」という存在が死によって消滅するとき、それは、私にとって観察対象であった自己と世界が観察対象でなくなることを意味します。また、私が死んだ後、これまで私が観察してきた世界が客観的に存在するかどうかは証明できません。しかし、私が亡くなった後も、誰かによって、私が死んで消えた世界を含む世界が、その人の自己とともに観察対象となる世界が存在することは、恐らく間違いないと考えられます。