時計によって刻まれる直線的時間によって生きることを拒否し、一瞬・一瞬が変化している自己と世界の出あいに目覚めるとき、その場に地に足をつけて確実に生きている生命力溢れる出来事の世界になります。
すべての存在が、二度と同じことが起きえない瞬間・瞬間のかけがえなき出来事の世界です。
道元禅師の「正法眼蔵」の中で説いた「有時(うじ)」も同じようなことを指摘しているようです。
しかし、現代人は、身心が深刻な危機に陥らない限り、あらかじめ定められたスケジュールや脱身体的な情報の流れに従って黙々と機械的に生きることにあまりに慣れてしまっています。ちょっとした揺らぎの予兆に対しても偶発的出来事としてできるだけ意識から排除しながら頭だけで生きるようになっています。
自己と他者、自己と社会、自己と世界、といった自己と場の生き生きとしたつながりや触れ合いの感覚が希薄化し、自己にとって、他者、社会や世界は、いつ自己を脅かしてくるか分からない得体の知れない外部となり出しているかのようです。
現代人は、自己が生きている場を忘れたかのようです。
それだけに、こうした時代の変化の中にある心理社会的支援では、被支援者と支援者の出あいの瞬間が、「生きた時間」になることの重要性が高まってきていると思われます。支援者と被支援者がそれぞれ自己自身に対して、生きた時間を生きることが、その後の適切な自己の自己組織化の契機となっていると考えられます。