
「意識現象といえば、物体と分かれて精神のみ存するということに考えられるかもしれない。余の真意では真実在とは意識現象とも物体現象とも名づけられないものである。」とは、西田幾多郎の「善の研究」の第2章からの引用です。
この捉え方を、ホロニカル心理学では次のように解釈します。
「心的現象といえば、物質現象とは異なる精神現象とか、物質現象であると考えられるかもしれない。しかし、ホロニカル心理学の立場からは、真実在は、精神現象とも物質現象とも名づけることのできない直接の体験そのものである。そして、直接体験を通して真実在が展開する場を“こころ”と考えることができる」という表現になります。
真実在は、名づけることのできないものであり、直接体験を通じて真実在が展開する場自体は、無・意識的であり、前反省的であり、無分別で無限に開かれています。無限に開かれている場から、私たちは、多層多次元にわたる何かの現象として分節し、何かを意識し、その識別した現象に名を与えているといえます。