西洋的自我とホロニカル心理学

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西欧的自我の概念は、同一性・連続性・主体性を基盤として構築されてきました。この枠組みにおいて、自我は自然や世界を観察対象として分析し、そこに変化を加える「自然や世界から独立した能動的観察主体」として位置づけられてきたのです。これは主客二分法に基づく認識論的前提を内包しており、近代的主体(近代的自我)の理想像として広く受容されてきました。

しかしながら、自我を世界との関係において対立的にのみ捉えることは、果たして妥当でしょうか。本論は、この認識枠を再検討すべき課題として提示し、ホロニカル心理学の視座からその相対化を試みます。

ホロニカル心理学は、「自然や世界から独立した観察主体」という自我理解に疑問を示す理論的枠組みを提供します。ホロニカル心理学の立場では、私たちは世界の外部に立ってそれを観察することはできず、常に世界内の存在として、世界内の諸関係の中に位置づけられています。そして、その関係性に参与しながら自己自己組織化する動的な存在と考えられるのです。すなわち、自己は世界の部分であると同時に、部分としての自己の内部に世界を包摂しながら新たな自己を形成し、また全体としての世界も自己を包摂しつつ新たな世界を形成するという、双方向的な生成関係にあると理解されます。

このような理解において、自己と世界はホロニカルな関係にあり、「我」は、自己と世界の多層多次元的ネットワークが生成・変容する過程において、「場所的自己」としての中心点として立ち上がるとされます。ここでの「場所的自己」とは、自己が空間的・関係的文脈において生成される存在であり、固定的実体ではなく、関係性の中で可変的に自己組織化されていく動的プロセスといえます。

この観点からすれば、「我」を、同一性を固定的・本質的実体として捉えることはできず、時間的・社会的文脈に応じて更新され続ける自己の観点からの再定義を必要とします。連続性もまた、直線的に保存されるものではなく、断続と統合の往還を通じて再編成される「非連続的連続性」として理解されます。主体性についても、主客二分の支配的起点としてではなく、外的世界を志向する外我と内的世界を志向する内我の相互運動によって生成されるダイナミクスとして捉え直されます。

この理論的枠組みにおける核心は、自己と我の関係そのものが、内と外が縁起的に包摂し合う「一即多・多即一」の関係性から形成されます。したっがって観察主体は、世界から切り離された特権的な点ではなく、世界の作動に共鳴しつつ生成される可変的な結節点と考えられます。比喩的にいえば、南方熊楠が構想した曼荼羅における「翠点」に比することができます。すなわち、観察主体とは、個と全体が相互に包摂し合いながら動的に生成される場としての結節点といえるのです。