
近年、マインドフルネスが大きな注目を集めています。北米発祥のこの概念は、特にシリコンバレーのIT企業家たちがその有効性を語り、脳科学の研究がその効果を支持したことで、仏教の修行法を脱宗教化し、多くの人々の関心を引くようになりました。しかし、ここで注意すべき重要な問いがあります。それは、マインドフルネスが「どのような状況で達成可能なのか」という点です。
安全で安心できる社会環境に身を置いている場合、適切な指導と安全な場があれば、ストレス軽減や集中力向上を通じて、比較的容易にマインドフルネス状態に至ることができます。しかし現代社会は、情報が氾濫し、断片的な価値観が錯綜・衝突し、戦争などの不安定な状況も存在しています。そのような「今・ここ」が安全でない環境において、果たして本当にマインドフルネスは可能なのかという現実的な問いが生じます。
もしマインドフルネスを、個人の脳内で生じる現象として内的世界に寄与するものと考えるならば、爆弾が降り注ぐような過酷な環境においても成立し得るのかを問わなければなりません。極限的状況でもなお、怒りや不安に飲み込まれることなくマインドフルネス状態を保つという、実存的課題が突きつけられるのです。
ホロニカル心理学では、マインドフルネスを「ホロニカル体験」の一部として捉えます。それは、自己と世界の出あいの一致を体感する「無境界の状態」の一部であり、単なる意識の静止状態を超えた、深い根源的な統合体験です。そしてそれは、しばしば苦悩の極限において覚醒してくる体験でもあります。
マインドフルネスが「今・ここ」における自己と世界の瞑想的な一致を求めるものだけのものであるならば、ホロニカル心理学が重視する「自己と世界の不一致」と「自己と世界の一致」を含む俯瞰とは異なります。ホロニカル心理学では、たとえ厳しい自己と世界の出あいの不一致を問われる環境の中であっても、無批判・無評価・無解釈の姿勢で現実を受け止める力、すなわち「自由無碍の俯瞰」の布置が問われるのです。
この「自由無碍の俯瞰」の布置は、いかなる社会環境においても奪われることのない働きです。そして、どれほど過酷な社会環境にあっても、「自己言及的にすべてをあるがままに俯瞰する自己」を育むことで、社会環境の変革を志向する自己を自己組織化することが可能です。ホロニカル・アプローチは、自己の内面に閉じこもった内在主義的なスピリチュアルな平穏を求める歩みとは全く異なります。
もしマインドフルネスが、社会的環境を無視した内面の解放に終始するならば、それはきわめて空想的な試みに映るでしょう。
しかし、もしマインドフルネスを「自己と世界の不一致」にあっても、なお、「自己と世界の一致」を求め続けることと捉えることができるのであれば、より実践的で社会的文脈に適合したアプローチとなると予測します。