
もし昨日の言動や態度と、今日の言動や態度の間に、連続性や一貫性がなく、さらにはその時々の言動に関する記憶すら存在しないとしたらどうでしょうか。その場合、個人の行動を自我の同一性に基づいて説明することは困難となり、ひいては社会的な主体的責任を問うことも難しくなってしまいます。臨床心理学や精神医学においては、このような現象は「自我の崩壊」や「統合失調症状態」と呼ばれてきました。
しかし、自我の同一性を失ったとしても、身体的自己が消滅するわけではありません。ここでいう「統合の喪失」とは、主体が自らを意識する力の崩壊を指します。つまり、自我の意識が拡散し、断片化してしまい、ひとまとまりとしての統合性を失った状態といえるのです。
ホロニカル心理学では、自我に相当するものを「現実主体」と捉え直します。そして、現実主体は「外我(外的現実主体)」と「内我(内的現実主体)」の二つの観点から理解されます。この枠組みに基づくと、統合の喪失は次のように理解できます。すなわち、自我の解体現象とは、自己と世界の多様な直接体験を直覚的に統合する力、なわち内的現実主体の統合化能力の喪失によって引き起こされる非連続化と断片化です。その結果、内我に依存する外我の同一性も崩壊し、思考や認識の体系も解体していきます。こうして、これまで一体性を保っていた自己や世界が、断片化されたものとして体感されるのです。
このような状態では、外我を観察主体として自己を洞察し、分析や内省によって変容をもたらすことは難しくなります。そこで重要になるのは、理性的な分析や反省を迫ることではなく、多様な直接体験を「身体的自己のひとつの表現」として包み込み、支えるような関係性です。親密で信頼できる他者との間の包摂的な体験を通してこそ、内我の再統合化が促され、その人が再び“こころ”の統合化を促進することが大切になります。