「何もできない」「何かをする気力が湧いてこない」「本当に駄目な自分」と、いつも自己卑下的な口調で同じような自己否定的ことを、苦しそうな態度で抑うつ的に語る人たちがいます。
こうした人たちの多くは、大うつエピソードをもった人とか、躁の気分にもなる人の場合は双極性障害と、医療機関で診断され投薬治療を受けています。
ところが、こうした人たちの多くが苛酷な生育歴や生活歴をもっていることがあります。苛酷な環境の多くは、パワーによる支配です。その結果、トラウマを身体に抱えています。暴力・体罰ばかりでなく、威圧・罵声・否定などの心的虐待を含む、暴君に身体が麻痺し服従せざるを得なかった人たちです。
苛酷な環境にさらされ続けた人は、攻撃的なるものに過敏になっています。ちょっとした出来事によって、身体が過覚醒または麻痺的になってしまいます。ちょっとした刺激によって、あたかも暴君に乗っ取られたかのごとくに反応してしまうのです。しかし苛酷な環境にさらされた人は、半ば条件反射的に反応してしまう自分を、自分自身で責め立てます。
ホロニカル心理学的には、外我は、「さっさと動け」「気力のない奴だ、もっと気合いを入れろ」「何を黙っているやりかえせ」「本当に駄目な奴だ」「おまえは人間のくずだ」といっているかのごとく、内我に圧力を加え続けています。それに対して、内我は、外我の執拗な圧迫に抗しきれず、苛酷な批判に浸食され、機能が停止したり、パニックに陥ってしまいます。内我が正常に機能しなくなってしまうと、身体的自己は、暴君と闘うことも、逃げることもできず、ひたすらその場で緊張性の停止状態に陥ってしまうのです。
こうした反応は、過去にあった苛酷な場面の再演が、自己自身の中で起きることから起きているのです。
しかしながら、緊張性の停止状態に陥っている身体感覚や内的体感を、支援者とともに安全かつ安心して支援者が実感・自覚できるようになってくると、支援の場でならば、緊張停止の再演から抜け出すことができます。血色がよくなり、動悸や呼吸が安定し、ほどよい覚醒状態になり、今・ここの場ならばちゃんと動けている自分に気づきだし、それとともに気分も安定化しだし、それに伴って否定的思考からも脱却すことができます。
周囲の人は、身動きできなくなった人を前にした時、気力や考え方の見直しを迫る前に、神経・生理学的な条件反射のようにして身体が動けなくなっている身体を、ホールドし、過緊張をほぐしていくような働きかけがとても大切になるのです。