
私たちの日常生活において、「主観と客観」「内的世界と外的世界」を厳密に区別することはほとんどありません。むしろ、それらが混ざり合う中で私たちは生きています。しかし、意識が内的世界に焦点を当てた瞬間、主観的な世界が顕在化し、逆に外的世界に焦点を当てれば、客観的な世界が立ち現れます。
学問は、このような認識の揺らぎを防ぐために「主観と客観」「内的世界と外的世界」を厳密に区別し、その知見を体系化することで成立します。たとえば、観察対象を主観的側面に限定すれば、意識現象が研究対象となり、心理学が生まれます。しかし、現代の心理学は“こころ”や意識そのものについての議論を避ける傾向にあるため、多様な理論が混在しているのが現状です。
一方で、観察対象を徹底的に客観化すれば、物理学が成立します。物理学は、あらゆる現象を物理的法則に基づいて解明しようとする学問であり、量子論や宇宙論といった分野では、厳密な数理モデルを用いることで、極めて高い精度で物理現象を説明できるレベルに達しています。
心理学と物理学は、一見すると対極に位置する学問のように思われがちですが、ホロニカル心理学では両者が不可分であると考えます。なぜなら、主観的な意識現象の背後には必ず物理現象が関与し、また物理現象を認識するためには意識現象が不可欠だからです。
この関係をより深く理解するためには、観察主体と観察対象の区別を取り払ったときに立ち現れる世界に目を向ける必要があります。主客が合一し、自己と世界が相互に浸透する瞬間、そこには「絶対無の場所」があると考えられます。哲学者・西田幾多郎の言葉を借りるならば、意識現象と物理現象は「絶対矛盾的自己同一」として成立しているのです。
宇宙を無限の円とする比喩の中で、私たちはその中心に位置する星々のような存在です。それぞれの場所で、私たちは世界を自己に映し出し、内的世界と外的世界を同時に創り出しています。このとき、意識現象と物理現象は切り離せない関係にあり、ホロニカル論の観点から見ると、両者は一つの統合的な場において機能しているのです。
では、これらの現象はどこで展開しているのでしょうか。何かが存在するためには、その現象が展開される「場所」が必要です。西田幾多郎の思想に倣うならば、その場所こそが「絶対無の場所」となります。この「絶対無の場所」は、般若心経の「色即是空・空即是色」の「空」とも対応する概念です。
ホロニカル心理学において、「こころ」は広義の意味で「絶対無の場所」であると捉えられます。生きている間の「こころ」は「無の場所」であり、死後には「絶対無の場所」へと回帰する。ただし、これはあくまで一つの定義であり、「こころは絶対無の場所である」と断定することは、心理学の枠を超えた哲学的命題となるのです。