自己とは(25):「場所的自己」と「絶対無」との関係

AIで生成

ホロニカル心理学自己を「場所的存在」として捉えるのは、自己があらかじめ独立した実体として存在するのではなく、世界という「」から生起する存在と考えているからです。自己は、刻々と生成と消滅のせめぎ合いを生き抜き、やがて死を迎えてその場へと回帰していくと理解されます。私たちは、孤立した存在として一人で生きているわけではなく、この世界の流れの中から生まれ、世界の中で生き、最後はまた世界へと戻っていく存在ということです。

しかも世界とは、単なる出来事の容器ではありません。世界とは、出来事の生成と消滅そのもののことです。「世界がまず存在し、その内部で出来事が起こる」のではなく、「生成と消滅の連関そのものが世界である」と理解されます。

したがって、生成と消滅に伴う「生(有)」と「死(無)」の対立も固定的なものではなく、「相対的な有無」として把握されます。なぜならば、相対的有無から構成される世界は、すべての相対的有無を可能にする零点的かつ包摂的な「場」から創造され続ける「死と再生の物語」の一環として理解されるからです。

零点的かつ包摂的な「場」とは、決して実体化されることのない「絶対無」の場であり、仏教における「空(くう)」の概念に相当します。ここでは、あらゆるものが「無自性」として成り立ち、すなわち零点的な場のもとにあると理解されます。

重要なのは、この相対的有無の対立と統合が、すべて「絶対無」という場において展開している点です。自己は「場所的自己」として、この零点的な場(絶対無)から生起し、生成と消滅の動的プロセスの中で多様な相対的契機を包摂しつつ、適切な自己を自己組織化しようとします。そして、生の歩みの終焉を迎えるとき、自己はその成立を可能にしていた零点的な場へと「回帰する」と理解されます。

世界という箱の中に人生の出来事が入っているのではなく、出来事が生まれては消える、その繰り返しこそが世界であり人生そのものといえるのです。