ホロニカル・アプローチとは?

ホロニカル・アプローチとは?

 -内的世界と外的世界を共に扱う総合的アプローチ-
ホロニカル・アプローチとは、“こころ”の深層から、身体、関係性や社会に至るまで、自己(部分)⇔世界(全体)の関係を自由無礙じゆうむげに俯瞰しながらアプローチするもので、フロイトやユング、家族療法、プロセス指向心理学、システム論、ナラティブ・セラピーに加え、西洋哲学から東洋思想までをバックボーンに、生命力の溢れる情感をともなった“こころ”そのものの体験を扱っていく心理社会的支援に関する理論および技法のことです。

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自己(個のこころ)と世界(こころ)とのホロニカルな関係

宇宙はビックバンにはじまることがわかってきています。
ビックバン前を、仏教的な空(こころ)から世界が誕生したとすると、私たちの自己も、本来は空なのですが、創造的世界の中の万物の一つとして識別され、あたかも有るかのように見えるような存在ということになります。この時、心理学的に、自己の“こころ”を、個の“こころ”とし、空(こころ)から生まれる世界も”こころ”の現れとするし、世界(こころ)と表記すると、次のようになります。

創造的世界から生まれた自己(個のこころ)は、自らを産み出した世界(こころ)との出会いを通じて、もともとゼロ・ポイントとして、一つだった自己(個のこころ)と世界(こころ)との分断による不一致をできるだけ一致させようと、自己(個のこころ)の内に世界(こころ)を取り込もうとします。しかし、それだけではありません。自己(個のこころ)は、自らを産み出した世界(こころ)をできるだけ自己(個のこころ)に包み込もうとしながらも、一方では、新たな世界(こころ)の創造にも参加しているのです。

このように自己と世界は、密接に関係しあいながら、共に自発的に自展しているのです。

当然のことですが、自己は、自己単独だけでは、この世界に存在できません。
自己があって世界があるのでなく、世界があって自己があるのです。

何らかの自己と世界の間に不一致の直接体験を意識した途端、はじめて私という意識が生まれるといえます。自己と世界が一致している瞬間には、自己も世界の区別もなく、自己という意識もありません。自己と世界の一致は、後で内省的に振り返った刹那に、自己の意識が生起するのであって、自己と世界が一致している時は、すべてが、「ただ、あるがままにある」だけです。自我同一性というと、私という存在があたかも本当にあるかのように錯覚してしまいますが、正確には、私という自己意識は、生起したり、消えたりと、非連続な連続を繰り返しているといえます。それが一貫したものに見えるのは、一コマ一コマが本来非連続にあるにもかかわらず、それが連続すると一貫した時間的流れのある映画のように錯覚するのと同じ現象といえます。

まず、自己に先だって世界があって、その次に、自己と世界の出会いの直接体験があり、その自己と世界が絶えず不一致と一致を繰り返しているのです。そして不一致の時に、直接体験を意識する自己の主体として、自己自身や世界を対象として意識する自己(個のこころ)意識が生起してくるといえます。

フランスの哲学者で、「人間は考える葦である」で有名なパスカル(1623ー1662)は、神のことを、「周辺なくして到る所に中心を有つ無限大の球」と比喩しました。日本を代表する哲学者西田幾多郎(1870ー 1945)は、パスカルの考えに刺激され、「絶対無の自覚的限定といふのは周辺なくして到る所が中心となる無限大の円と考へることができる」と絶対無のことを表現しました。パスカルの神や西田の絶対無を、仏教的な「空」の意味で“こころ”とし、ある自己を「点」とし、世界を「球」として、一致と不一致を繰り返す自己と世界の関係を突きつめていくと、自己と世界は、次のような関係にあることに気づかされます。

「それぞれの一点(自己)を中心点として、それぞれの球(世界)が、点の数だけ無限にあり、無限の球(世界)の中には、無数の一点(各自己)がある」という自己と世界の関係への気づきです。

自己(個のこころ)という点には、世界(こころ)という全体が含まれ、世界(こころ)も自己(個のこころ)という点を含むということです。

自己と世界は、華厳経で語られるように、一即多・多即一の関係にあり、ミクロからマクロに至る一切合切が、部分と全体の縁起的包摂関係にあるのです。こうした縁起的関係を、「ホロニカル」な関係と名づけました。「ホロニカル」とは、ホログラフィック・パラダイム (Wilber、 1982) やホロン (Koestler、 1978) といったニューサイエンスの影響を受けて作り出されたオリジナルの用語です。

※自己と世界のホロニカル関係は、理性や知性だけでは把握しにくいかも知れません。体感的なものだからです。しかし、同じようなイメージは、仏教の華厳教でも語られているようですので、関心のある方は、「宝珠の比喩」とか、「因陀羅網」をキーワードにして調べてみてください。

※詳しくは、心理相談室こころ室長 定森恭司著の「ホロニカル・セラピー:内的世界と外的世界を共に扱う総合的アプローチ」(遠見書房,2015)、または、定森恭司・定森露子共著の「ホロニカル・アプローチ:統合的アプローチによる心理・社会的支援」(遠見書房,2019)を参照ください。