当為

なんらかの真実にまで至った実践は、あまりに語ることが甚大で語り尽くすことができません。

そうした実践は、当為(あるべきこと)といえます。しかし当為といっても何も杓子定規な倫理を意味しているわけではありません。単なる道標のようなものにすぎないともいえます。

内的世界と外的世界が交差するにおいて、自己と世界の関係性が再編成されるプロセスとしての「実践」であり、その深度と広がりゆえに、言葉による記述が常に不完全であることを余儀なくされます。語り尽くせぬ実践とは、まさにホロニカルな存在(部分であり全体でもある存在)としての人間が、多層多次元な関係性の網の中で生成される「意味の変容」の軌跡が当為といえます。