不適切な環境がストレスとなって引き起こされる心理身体的症状に対して、医師から「うつ病です」と診断されるだけで、引き金となった肝心のストレスの問題が不問にされると、その後、診断名だけが一人歩きしだします。そして多くの場合、問題の本質は個人病理であるかのような社会的スティグマにはまり込みます。こうなると病気を引き起こすほどの複雑な要因は被い隠されてしまい、問題は個人のストレス管理の脆弱性でもあるかのような扱いを受けることになります。
特に医師から、「うつ病は神経生物学的反応によります」と、生物医学的反応が病気のすべての原因であるかのような因果論的説明を受け、「これからは薬物治療と認知行動療法を行うのがもっともエビデンスのある治療法です」と断定されると事態はさらに混乱します。医学的な病理モデルでもって、すべてを説明するような観点だけでは、個人がこれまで置かれた複雑な要因の一切が切り捨てられてしまうからです。病気を引き起こす外的要因は問われず、すべてが個人内の病理的問題として一般化する視点には落とし穴があるのです。うつ症状形成には、いろいろな要因がありえます。最先端の知識を巾広く勉強している良心的な医師ならば、そのことを熟知しているものです。しかし単純な因果論的な思考の枠組みに、一旦うつ病と診断された患者自身が入り込んでしまうと、「やはり自分の問題なのだ」という自己否定的認識に拍車がかかるようになり、抑うつ状態が一層悪化することにもなります。
家庭、学校、職場や社会の環境が悪化すれば、うつ病と診断される人は増加します。毎月100時間を超える超過勤務や職場におけるパワハラ・モラハラもうつ状態を創り出します。その上、職場から自宅に戻れば、かつて体罰、威圧、否定や罵声でもって自分や母親に君臨しながら、今や認知症となって深夜徘徊する父親の介護問題を抱え、その介護に疲れて死にたいとばかり語る年老いた実母と、情緒的に不安定な妻を抱えているという実態があれば、多くの人は、誰でもバーンアウトしてうつ状態になります。こうした錯綜する心理・社会的問題を抱えている人に、投薬治療と認知行動療法だけでは、当然のこととして持続的な変容を見込むことはなかなかできないのです。もし効果が見られたとしても、外的要因に何か変化でもない限り、ごく一時なものに限定されてしまうのです。
支援者には、錯綜する現実を見極め、家庭・学校・職場の環境調整、福祉制度の活用、セルフグループの紹介、レスパイトなど、被支援者の抱える心理社会的問題により添いながらサポートしていくような統合的支援が求められているのです。
精神医学的な疾病や障害ばかりに目を奪われるだけではなく、疾病や障害まで引き起こすプロセス自体に対応していかないことには対処療法にしかなり得ません。病気や障害を契機に、新しい人生の生き方を発見・創造することが被支援者と支援者の協働作業として求められているのです。
標準化された各種検査から出てくる結果は、標準反応からの逸脱を裏付けても、逸脱の人生の意味までは問いません。標準化されたデーターからは、生きづらさの背景にある多層多次元にわたる輻輳的な実態を明らかにするには限界があるのです。標準化された手続きによって明確化する一般的問題と、固有のライフ・ストーリーの理解という特異性の理解との複雑な絡み合いを扱う姿勢が大切といえるのです。