
※ノンフィクションフィクション:いろいろな事例を組み合わせて創作された架空事例です。
<主な登場人物>
忍斗(にんと):20歳、親元を離れてアパートで一人暮らし。大学2年生。
カウンセラー:週1回、大学の学生相談室に非常勤として勤務している臨床心理士資格をもつ30歳代女性。
<場所>
某大学の学生相談室の面接室
<相談構造>
隔週1回の1時間の対面による面接。無料。
<忍斗の状況>
忍斗の両親は、忍斗が小学校2年生のときに離婚しています。また、重度の知的障害と自閉スペクトラム障害をあわせもつ4歳年下の弟がいます。
両親の離婚後、母親の実家近くの賃貸マンションで、母親が働きながら、母と弟の3人暮らしをしていました。母親は厳しい経済状況でしたが、忍斗には強く大学に進学することを希望していました。その結果、忍斗は最初は高校卒業後に就職を希望していましたが、母親の勧奨もあり、大学進学に希望を変えました。しかし、自宅から通うことのできる大学の受験には失敗し、高校時代まで母親と共に弟の介護やケアを当然のこととして育っていた忍斗は、母親の負担が増すことや弟のことが気になりながらも、実家を遠く離れてアパートを借りて一人暮らしをしていました。
離婚した元父親は養育費の支払いが滞るような人でした。また、母親にはさほど財産もなく、母親からの仕送りにも限度があり、忍斗は大手レストランチェーンでバイトをして少しでも母親の負担を減らそうとしていました。そうした強い動機もあり、忍斗はバイトを休むこともなく、黙々と仕事を真面目、かつこつこつと実行していました。しかし、休憩中も仕事中もたわいもない話を同僚とすることもなく、仕事に関係する会話以外ではほとんど無口でした。
飲食店は現在、人手不足で、バイト先の店長は毎日のシフトを組むことが一番の悩みでした。店長自身の疲労もピークになり、妻や子どもと接する時間や余裕を失いかけており、密かに転職を悩む状態にありました。店長からすれば、職場はすべてがドミノ倒しの状態でした。忍斗以外のパートや学生バイトの多くは、試験、就職活動、帰省、体調不良などを理由にシフト後にも断りのメールを入れてくることが増加していました。その結果、無理してシフトを頼むと、そのことでパートやバイトが辞めてしまうというスパイラルから抜け出せない状況でした。それだけに店長にとっては、忍斗がもっとも頼りになる学生でした。
しかし、忍斗は夏を過ぎた頃には、授業よりもバイト優先の生活にすっかり変貌していました。その結果、アパートに帰れば体力的にも疲れ切っているため、すぐにでも万年床で寝たい状態でしたが、高校時代の友人からのインターネットを利用してのゲームの誘いにこのまま寝てしまう人生にも空しさを感じることもあり、断ることもできず、深夜1時から2時までゲームをする日々が続いていました。こうして、毎日がバイトとアパートを往復するだけの日々になっていました。バイト料は貯まっています。それなのに、帰省することもできず、遊興費や何かを購入する気持ちすら湧かなくなって、ますます抑うつになっていっていました。
<インテーク面接>
9月の初め、忍斗は単位認定の問題を心配した学生課職員の紹介で学生相談室を訪れました。初回の面接はインテーク面接と呼ばれ、今後の継続の希望の有無や、継続する場合の面接の目的、面接間隔、時間、期間について話し合うことになっていました。
面接開始当初、相談動機が学生課からの紹介ということもあり、相談動機が弱く、忍斗は主訴を自ら語ることができず、言葉のつながりが弱く、とつとつと語る態度でした。そこで、カウンセラー(Co)は、忍斗の現況把握に努めながら、忍斗が上手く言葉にできない感覚の明確化をサポートする形で対話を進めていきました。
1時間余りをかけて、忍斗の外的世界の現況と、それに対する内的世界の切羽詰まり感が明らかになりました。忍斗は、何をどこから手をつけて整理すればよいのか全く判断できない状態で来室したことがCoには理解されました。精神医学的な面では、不眠気味で、疲労感や空虚感は認められましたが、食欲はあり、希死念慮はなく、極端な体重減少や増加もありませんでした。精神科的ケアの緊急性はなく、まずは在学中の学生相談室による伴走型支援によって、単位認定問題とバイトの関係を整理していくこと、その結果次第では、忍斗の同意のもとで、単位に関係する教職員や学生課とのネットワーキングを図り、必要ならば保護者との合同面接も実施することなどの大枠の見通しを持ちました。
忍斗はCoから大枠の見通しを伝えられると、ほっとしたように肩の力や顔の表情が緩み、継続面接の提案に大きく頷きました。このとき、面接間隔についてはCoの都合もあり、隔週1時間の面接構造に合意しましたが、時間設定についてはバイトに行く前の時間帯を強く希望しました。Coは、バイトのシフトは断れないが、面接時間の希望について強く述べることのできる態度に、忍斗の潜在的力を感じる一方で、逆に問題の核心もこうした姿勢に隠されているような直感を得て、インテーク面接は終了となりました。
<2回目のセッションで明らかになってくるテーマ>
忍斗は面接予定の5分前には、きちんと学生相談室の待合にいました。前回とは異なり、表情は明るく、姿勢も弱々しさがなくなっています。カウンセラー(Co)が面接室に入るように促すと、「お願いします」と礼儀正しく頭を下げました。ふと、こうした態度が、無口だけど今時には珍しい社会性のある好青年との印象を与えるのだろうと思いますが、逆に、店長は、まさか学業がほとんど手につかないなどとは思っていないかもしれないと、あれこれと想像を巡らせてしまいます。
この2週間の変化を確認すると、面接後、少しだけ気分が上向きになり、2回ほど授業に出席したものの、その他の生活にはほとんど変化がありませんでした。
その後の変化の有無を確認した後、Coは、「バイトのシフトは断れないが、面接時間の希望については強く希望を述べることのできる態度」が印象深かったことを率直に自己開示します。すると、
忍斗:「そこなんですよね。店長から『この日もバイトに入って』と頼まれると、断る理由を考えて戸惑っているうちに、店長の困り顔につい押されて、断れなくなっちゃうんですよね」と内省的に語り出します。
Co:「なるほど・・」と要約反射しながら傾聴を続けます。
忍斗:「その場では断りにくいので、あとでメールで返事しますと言うと、店長から電話で『お願い』と言われて、店長が困るだろうなって想像がつくし、それにバイトも1年経過しているので、任されることも多く、新人の子に教えたり、新人の失敗の責任を取ってあげなくてはいけないので・・・」
Co:「・・という気持ちがあるから、もし断ると店長に悪いなあという気持ちが強くなってしまって、つい引き受けているうちに、障害を持った弟とその世話をしながら一家を経済的に支え、学費まで払って大学に行かせてくれたけど、そのせっかくの大学が、学費やアパート代を補填するどころか、このままでは単位が取得できず、学生生活を少しも楽しむことなく終わってしまう可能性が出てきたんだよね」と問題の悪循環パターンを照らし返します。 その後、忍斗の外的・内的な対象関係のパターンの特徴の意識化・共有化をCoは忍斗と促進していきます。
<忍斗とCoの間で共有された忍斗の外的内的対象関係の特徴>
忍斗の外我は、内我の要求や欲求に即して何かを自己決定を行うことがほとんどなく、むしろその逆で、内我の欲求や願望を抑圧・抑制しています。特に人間関係においては、他者(店長、友だち、バイト先の後輩、母親、弟など)の期待や要望に応えようとする傾向が根強く育っています。
生きる上での大切な価値観や人生観は、他者への献身に価値を置いています。そのため、他者が困るような自己主張や自己充足は悪いことという理が知らずのうちに内在化されています。こうしたホロニカル主体(理)を既知の理として内在化した外我は、自己意識の発達段階の第4段階にあり、ホロニカル主体(理)に触れると内的現実主体は罪悪感を抱き、抑うつ的になってしまう傾向にあります。
こうした特徴は、小物を使って外在化され、可視化されます。

忍斗の外我:フクロウ
忍斗のホロニカル主体(理):ドラゴン、内我の欲求や要求を監視・監督する
忍斗の内我:フクロウ
他者:代表として店長(片手をあげている人)
<問題の核心>
忍斗とカウンセラー(Co)の間で、忍斗の内的対象関係や外的対象関係の特徴とその問題点が意識化され、共有化されていく中で、問題の核心は「少しでも罪悪感が和らぐ断り方の獲得」ということで一致していきます。
Coは、この時、忍斗の外我と内我の関係の変容に焦点を当て、内我がもっと自己主張できる方向を模索する方法もあり得ましたが、単位認定問題という現実的な時間的制約を考慮すると、やはり授業時間確保を優先し、店長の過度なシフトへの要請に対して断る力を持つという具体的テーマで忍斗とCoは合意しました。
そして断る場面をさらに絞り込んでいくと、実際にロールプレイを行うところまで至らないと、実際には断れなくなる可能性を考慮し、「もし学生相談室の面接予定日にもバイトを依頼された場合の断り方」という場面を取り上げることになります。
<シミュレーションの実施>
提案タイトル: 「忍斗の自己主張とホロニカル・アプローチ」
店長役はカウンセラー(Co)で、忍斗が店長からの要請に応答するという設定をします。
映画のワンシーンのようにして、店長から忍斗のスマホに電話連絡があった場面を実施します。
店長:「いつものことで悪いけど、Aさんがまた急にシフトに入れないと言ってきたんだけど、悪いけど、少し早めに来てくれないかなあ」
忍斗:「ちょっと用事があって・・」と、学生相談室での面接予約のことをごまかすかのように口ごもります。
店長:「その時間はもう授業が終わっているじゃなかったっけ・・・。もし講義がないならば、大変だと思うけど、入ってくれると本当に助かるんだわ。お願い」
忍斗:何も言えなくなり、力なく「上手く断れない」と肩を落とします。
その後、いろいろな角度から断り方を検討していきますが、忍斗は店長の困り顔ばかりが浮かんでいることや店長のがっかりする態度を見ると、強い罪悪感から胸苦しくなるほどの身体症状が出てしまうことなどがシミュレーションの中で明らかになりました。また「ちょっと用事が・・」と言いかけた時、あたかも嘘をついているかのような気持ちになってしまっていることも明らかになってきます。さらに、店長は、忍斗の大学の単位取得がほとんど進んでいない危機的な状況にあることをほとんど知らない可能性があることも明らかになってきます。店長が大学を中退していることも、大学の状況を店長に語ることを躊躇させているようです。
こうした複雑な想いが布置してしまって、口ごもってしまう状況をCoは共有しつつも、むしろ店長のためにも現況をすべて店長に自ら開示することを提案します。また、Coは、こうした忍斗のパターンは、幼少期から見てきた、いつも苦労している母親や弟のケアを優先してきた生き方と相似的なパターンが通底しているものを感じるようになっていました。
Coは、簡単には店長に断ることができない苦悩を共にしながら、断る行為が、忍斗にとって、ほんの少しでも罪悪感が和らぐ方向を忍斗自身が自己照合しながら進みます。しかし忍斗自身からは、断る台詞は出て来ないため、Coがいろいろな台詞を例示し、Coの台詞を忍斗が語りながら、その台詞から湧き上がってくる感覚を自己再帰的に自己照合するような感じでのシナリオづくりの共創に自ずとなっていきました。
シナリオづくりの共創は、あたかも映画のワンシーンを何度も撮り直す様な作業に似ていましたが、遂に、次のような台詞ならば、「こんな感じなら、言えるかもしれない」と発言するに至りました。
<導き出された断り方>
店長:「いつものことで悪いけど、Aさんがまた急にシフトに入れないと言ってきたんだけど、悪いけど、少し早めに来てくれないかなあ」
忍斗:「すみません。その時間は、大学の学生相談での継続面接の時間になっていてシフトに入ることができません」
店長:「学生相談って?」
忍斗:「実は、母親からの仕送りだけではお金が足りず、バイトをする必要があり、これからも続けたいですけど、ここ最近、なかなか言えなかったですけど、バイトで疲れ切ってしまっていて、なかなか寝れず、授業もほとんど出ておらず、このままでは留年や退学かの選択をしなければいけないところまできてしまっていて、それで大学の先生たちにもいろいろ心配して頂いてくれて、今後、どうしていくかを学生相談で整理しているところなんです」
Co:「店長に話したとき、実際にはどうなるかわからないけど、いいじゃないかなあ」と忍斗をシミュレーションの完成を支持します。
忍斗は、ずっと大学の実態については店長には一切何も話していませんでした。しかし、共創的シナリオづくりの中で、このままでは、むしろバイトにも行けなくなってしまう危険性を実感するようになり、むしろすべてについて自己開示することを決意していった中で完成した台詞でした。
<その後>
面接後、忍斗はバイトに行き、「ちょっと話があります」と、学業とバイトの両立の希望を伝えることができました。話を聴いた店長は「ごめん」と、忍斗がそこまで苦しんでいたことに気づかなかったことに関し、涙を流して謝罪しました。その上、店長は「忍斗に今バイトを辞められると困るが、これまでのように無理を頼めない」と言い、シフトを組むとき、忍斗の希望を最大限配慮すると約束してくれました。
しかし、そうなると、今度は忍斗自身が、今年中に単位取得見込みのある科目と、次年度に再履修する科目について、一つ一つ整理していく必要が出てきました。この単位取得見込みについては、学生課が教師陣との調整をサポートしてくれることになりました。その結果、4年での卒業は困難なものの、5年目での卒業ならば時間的なゆとりをもって卒業できる見込みがあることが明らかになりました。また、それに伴う学費の負担の増加分は、これまでに忍斗が貯めた貯金でも十分足りることも明らかになりました。
すべての方向が整理できた時、忍斗は母親に謝罪の意味も込めて経過を報告しました。すると母親は、「いい人達に恵まれてよかったね」と、すべてを了解しました。忍斗は、母親との電話でのやりとりに関して、これまでになく多弁でした。