
場所的自己には、万物が映し出され、その中に包含されています。自己は、場所的自己に映し出された世界を通じて、世界の叡智へと到達する可能性を秘めて生きているのです。このことを世界の立場から語れば、世界は、世界によって創り出された私たちを通じて、自らを知ろうとしているといえるのです。
世界の一部として創造された「我」は、自己を知ることで世界を知るようになります。そして同時に、世界を知ることで「我」を深く理解することが可能となるのです。この両方向の認識は、自己と世界の本質的なつながりを示しています。
しかし、自己意識の発達が第5段階以上に至らない場合、場所的自己にとって世界との関係はしばしば矛盾や対立として捉えられます。それは無差別や無境界の意識ではなく、混乱や葛藤に満ちた感覚として現れます。
ただし、我が「場所的自己」と世界が矛盾し対立していると知的に判断する以前に、体験そのものはただ「あるがまま」に存在しているといえます。ここで、不一致の「苦」と一致の「楽」は一体として同時に経験されるのです。それは、判断を加える前の純粋な体験における同一性とも言えるでしょう。