統合化と個性化のせめぎあい

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歴史を振り返ると、人々の生き方は長く「公」によって規定されてきました。国家、共同体、伝統、家父長制といった大きな枠組みが、人々の価値観や生活様式の“模範”を提示し、私たちはその価値を知らぬ間に内在化してきました。ホロニカル論の視点から言えば、公的体系がひとつの大きな“ホロニカル主体(理)”として、個々の生を包摂していた時代です。しかし、近代以降の歴史的転換のなかで、民衆は次第に「個」という新たな主体性に目覚め、自らの欲求にもとづく価値を創造しようと動き始めました。

その帰結として、現代社会は価値が多様化し、多元化し、互いに交差しあう複雑な様相を呈しています。複雑化した社会システムでは、全体をまとめようとする“統合化への希求”と、個が固有の生を追求しようとする“個性化への希求”とが、絶えず拮抗しながら緊張を高めます。

この双方の動きが持つ力は強大であり、どちらか一方が過度に偏れば、社会システムは分裂し、時に解体へと向かいます。だからこそ、統合化と個性化という相反する方向性を両立させる哲学的・社会的枠組みが必要となります。ホロニカル論は、その両立を可能とする新しいパラダイムを提示します。

一即多・多即一……部分が全体を生かし、全体が部分を生かす縁起的包摂関係。そこでは、個は個として自立しながらも、同時に全体との相互浸透によって新たな意味を創造します。

もちろん、ホロニカル論に反するパラダイムも存在します。一つは、統合化を個性化より強く優先し、国家や共同体を絶対化する立場です。もう一つは、個性化を重視し、個人の自律性を至上とする立場です。政治思想的には、前者は全体主義へ、後者は極端な個人主義へ傾く危険を孕みます。

ホロニカル論は、これらを単純に否定も肯定もしません。しかし、一元論的統合か、多元論的個性化かという二項対立のみに依拠する限り、どちらも視野が狭く不十分です。ホロニカル論は、それらを傾聴しつつも距離を保ち、そのどちらも超えてゆく立場に立ちます。両者がホロニカル論に近づこうとする運動を見守りつつ、私たちはホロニカル的実践……すなわち、個と全体の縁起的包摂を日々の支援や社会的営みにおいて実現すること……に徹するのみです。

統合化と個性化のせめぎあいは、現代社会の深層を流れる“大きな力学”です。ホロニカル・アプローチは、この力学を対立ではなく創造の源泉としてとらえ、未来に向けた新しい社会像を描こうとしています。