
暴力など、直接的に安全感や安心感が脅かされることがなくても、人は社会に流布される様々な言説に振り回され、自分はひょっとすると変でないかと絶えず不安を抱くものです。
みんなからすると、私は、鬱にみえないだろうか、引きこもりに思われないだろうか、DVに思われないだろうか、性同一性障害にみえないだろうか、発達障がいに思われないだろうか、と言った具合にです。実際に、誰かに、そのように言われなくても、そうした言葉が社会で流行する度に、ひょっとすると私も・・という形で、みえない他者からの視線におびえてしまうものです。
人に安全感や安心感を提供することを期待されている臨床心理学も、逆に、“こころ”の現象をいろいろと言葉でもって概念化することによって、一方では、安全感・安心感を脅かすことにもなっている危険性もあります。それだけに“こころ”にまつわる言葉や概念を、どのような文脈で使用するかについては十分な注意を払わないと、問題ばかりをつつきあうことを助長し、相互不信になってしまうことだってありえます。
大切なことは、問題を分析しあうことではなく、より生きやすい人生の道を「共同研究的協働関係(共創的関係)」を通じて、発見・創造することです。
問題にする者と問題とされる者の関係よりも、共に問題を解決する信頼関係という土台を堅固に構築することの方がもっとも重要と思われます。