体験との照合の大切さ

生きているという直接の体験を、言葉ですべて語り尽くすことは困難です。

たとえ言葉で語ったとしても、体験のもっている豊かさからすれば、ほんの僅かなことについて触れることしかできません。でも、語り尽くすことができないからといって、体験を実感・自覚するということの価値の大切さが失われるわけではありません。生きているという実感を味わうためには体験の実感・自覚を看過してはならないといえるのです。

ところが、現代社会は、体験の実感よりも、体験との自己照合なき情報を沢山持っていることの方に価値をおく生き方に変化してきたように思えます。しかし、そうした生き方では、生きているという実感・自覚から疎外されてしまうのでないでしょうか?

体験との照合なき自己選択や自己決定は、主体的に生きているという実感を喪失させるばかりでなく、人生を情報にひたすら翻弄されるような他律的なものに変えてしまうのではないでしょうか?