心理的外傷体験にさらされ続けると、自分自身の感情や身体感覚に疎(うと)くなり、逆に外的世界からの脅威にとても過警戒的になり、ちょっとした出来事に極端な反応を示してしまいます。
心的外傷体験にさらされ続けた人の観察主体は、自己自身に向かう余裕などはなく、外的世界に常に神経をとがらせます。食欲、安眠への、休息への欲求、性的欲求などは後回しになり、まずは自らの安全確保のために生きるエネルギーのほとんどが注入されます。彼ら彼女らは、ホットすることができません。いつまた外傷体験に遭遇するかも知れないからです。身体は常に過緊張状態にあり、物事を余裕をもって捉えることや冗談やユーモアがもてず、腹を抱えて笑うこともできません。こうした状態が常態化してしまった人にあっては、感情は平板になり、物事を楽しんだりする気持ちにもなれず、抑うつ的な気分が蔓延化してしまっています。
脅威にさらされることが常識化し、自分自身の感情や身体感覚に対して疎くなってしまっているため、危機にさらされた時には、心身が石のよう硬化してしまって外的世界からの脅威に対して受動的服従的になり、適切な回避行動や自己主張によって身を守ることができません。その結果、再被害に遭遇しやすく、事態をより悪化させてしまいます。
また虐待、DV等、暴力、威嚇、罵声、否定などパワーによる支配にさらされ続けた人は、どうしても自己価値が低くなり、自己否定的に自らがなっています。
しかしこうした人たちにあっても、安全と安心できる物理的環境がまずは第一義的に保障され、かつ適切な支援を持続的に受けることが可能ならば、少しずつ過警戒や過剰な反応は和らぎ、少しずつ自らの感情や身体感覚を自らのものとして実感・自覚することが可能になっていきます。
あるがままの自己の実感・自覚は、自己自身に対して自己受容的・自己肯定的な自己へと変容と、適切な自己主張や回避行動をとることを可能にしていきます。
失われていた自己と世界に対する信頼感覚が回復したり、獲得されてはじめて、これまでの平板な人生に血が通いはじめ、それとともに人生の悲哀に喜怒哀楽の感情を抱くことが可能になってくるのです。