実感と自覚(1):主客合一となる

ただ単に外我が内我と一致するだけでは、外我のひとりよがりな独我論に陥り易く、それは心理学で意識化とは呼ばれても、自覚とは言えません。内我が実感・直覚した直接体験ホロニカル主体(理)を内在した外我が一致し、自己と世界の一致を深めていくことが自覚です。自覚のためには、内我・外我が直接体験との自己照合によって一致することが必要となります。ただ知るだけ、ただ判断するだけでは、自覚とはいえず、実感がなければ自覚とは言えないのです。

言葉で何かを判断・理解することだけでは、ただ知識を獲得したに過ぎません。自覚とは、言語化や見える可することが不可能な自己と世界の出あいの生き生きした感性的なものを含む直接体験を、あるがままに直覚し、直覚的に実感したものをさらに意識(理解・判断)することといえます。

実感だけでも、理解・判断するだけでも自覚とは言えません。直接体験の実感と理解・判断が主客合一となることが自覚といえます。自覚とは、自己と世界が、相対立し相矛盾しあって重々無尽の世界を創造しながらも、実は全体としては一の世界であることに目覚めていくことといえるのです。

自己と世界の関係が一即多・多即一にあることに覚醒しながら自己を自己組織化していくことが真の自覚です。真の自覚を深めていくことが人格の統合化といえます。