
信仰によって聖者になる者がいれば、信仰によらずして聖者になろうとする者もいます。
聖者になることを真の自己になること、とするならば、大切なことは、信仰の有無に関係なく、いずれ死ぬ運命を予知して、生きている今このときを、お互い真の自己を求めて生きることにあるのではないでしょうか?
そして自己が真の自己を自覚するということは、世界が今・この瞬間、自己を通して世界を映すということを意味するのではないでしょうか。
この観点からすると、自己が世界を実感・自覚するのでなく、自己と世界の実感と自覚は、常に自己と世界の出あいの直接体験の場で表裏一体の同時の実感・自覚の出来事として起きているといえるのではないでしょうか。
自己を実感・自覚するところに世界と真の自己の実感・自覚があると考えられるのです。